飲み屋というものがいかにありがたい存在かということは知っている。画家が自分の絵をならべて個展をするように、飲み屋というのはあるじ自身の人間の個展なのである。人はその人間に触れにゆくわけで、酒そのものを飲むなら、自動販売機の前でイスを置いて飲んでいればいいのである。
上の一節は司馬遼太郎の『街道をゆく』第廿七巻/檮原街道のくだりにある。呑み屋に居る己を、個展になぞらへるのは、如何にも譬喩上手の司馬らしく、すつかり感心した。世の呑み助は参考にして、これからは呑みに行くと云ふ代り、何々屋で個展を開くのだと宣するのがいい。
前後の事情を簡単に説明すると、檮原は土佐の山奥。幕末の頃、血の熱い土佐人はここを脱け、伊豫へ向つた。その檮原を訪ねた司馬は(云ふまでもなく『竜馬がゆく』を書くにあたり、散々調べたにちがひない)、町のひとに酒席に招かれ、有難いと思ひつつ、また困惑もしつつ考へたらしい。
困惑には理由がある。『街道をゆく』を讀むと、この小説家兼随筆家は、飲みまた食べることに、驚くほど淡泊なのが判る。精々がどこかのドライヴ・インでとんかつ定食を註文するか、立ち寄つた場所にあつたソバを啜る程度で、不満を洩らす気配もない。稀にソバは旨かつたと記しはしても、何がどう旨かつたのか、さつぱり判らない。
「目的地に辿り着く為に、腹が脹れれば、飲食の役割は十分に果されるのである」
露骨には云はないけれど(司馬には更に偏食の気もあつたらしい)、土地に根づいたお酒や料理に一片の興味も示さないのだから、云つてゐるのと同じである。まさか客人がそんなたちとは思はなかつた檮原人も、困惑しただらうと思ふと、何やら滑稽な感じもする。
冒頭の引用に戻ると、司馬の興味が、呑む場所そのものでなく、飲み屋を訪ねる人びとに向いてゐるのは明かである。でもなければ、"ギャラリー 飲み屋"といふ發想は生れまい。
但し呑む行為自体の愉快は、他者の体験談や文章(たとへばかれ好みの逸話)で知つてゐても、我が身で体験は出來なかつたのだとも思ふ。さうでないと、呑むだけなら
「自動販売機の前でイスを置いて飲んでいればいい」
など、殺風景きはまることは云へないだらう。あの實證的な作家にして、さういふ一面があつたのを、わたしは残念がりながら、好もしいとも思ふ。好もしいと思ふのは、眞似をしたい意味ではないけれども。
併しわたしは、"販賣機の前にイスを置いて"呑むのは、我慢がならない。そこで話は"ギャラリー 居酒屋"に移つて、いやその前に"ギャラリー 居酒屋"は、わたしの(勝手な)造語なので、司馬に責任は無いと念は押しておく。
呑み屋で外のお客が何を呑み、また摘んでゐるかは、確かに気になる。いつだつたか、どこかほカウンタで呑んでゐた時、少し離れた席の(元)お嬢さんが、雑魚天を肴に麦酒をやつつけてゐるのを見た。因みに云ふ、雑魚天は伊豫の食べもの。小魚を擂り揚げた、薩摩揚げの親戚筋にあたる。生姜醤油で囓ると、ごりごりした歯触りがうまい。東都では中々見掛けないので、大慌てで註文した。この時のわたしは、"ギャラリー 居酒屋"の見物人だつたと云へる。
勿論逆もあり得る。稀に何を摘んでますかと訊かれもして(こつちが訊くこともある)、"ギャラリー 居酒屋"では、出品者と見物人の立場が、常に錯綜してゐると云つていい。實のところ、お酒の味には、その錯綜も含まれてゐる。更には販賣機前の椅子に、どかりと坐つて悠々呑むのも、司馬の云ふ
「あるじ自身の人間の個展」
のひとつの姿であり、お酒の味はひの一種でもあつて(わたしは我慢ならないけれど、それはこちらの事情である)、あれだけ観察眼に優れたひとが、そこに気附かなかつたのは不思議でならない。まあ疑念はさて措かう。目下の問題は、その"ギャラリー 居酒屋"で、個展を開く機會に中々恵まれない点にある。こちらとしては、いつでもいい。檮原の人びとには、招待してくださらないだらうか。