閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

773 列車と習慣に就て

 列車と云ふのだから、通勤電車とはちがふ。通勤電車にだつて習慣があるのは勿論として、何時何分どこ驛發の何輌目の何番扉辺から乗るとか、そんなところでせう。後はスマートフォンでニューズや天気予報を確めるとか、眞面目な會社員ならメールその他のチェックをするんだらう。わたしは不眞面目な社會人だから、しないけれど。仮にしてゐても、さういふことから話を拡げるのは、わたしの手にあまる。

 

 おほむね年に一往復か二往復、東京新大阪間の東海道新幹線を使ふ。

 西上は大体、こだま號。

 東下はのぞみ號かひかり號。

 先づこれが習慣である。西上にのぞみ號(乃至ひかり號)を使つてはならないわけではなく、事情と必要によつては、そちらを撰びもする。

 どれに乗るとしても、指定席でDを取る。D席は二人掛けの通路側。喫煙者でトイレの近い男には具合がいい。これも習慣。余程空いてゐるか、指定席が取れないくらゐの混雑なら、自由席にするけれど。

 西上のこだま號では、罐麦酒を二本、葡萄酒の半壜かお酒を二合。お弁当にナッツかチーズ。新横浜驛を過ぎた辺りで先づごはん。おかずは原則として麦酒の摘み。焼き魚や煮ものを少し残して、チーズと一緒に葡萄酒のお供にする。それでだらだらと(居眠りも挟みつつ)米原辺まで。過去の手帖を捲るのは省くが、五年以上は續いてゐるから、習慣になつたと云つてもよささうに思ふ。

 東下では残念ながら、そこまで暢気にかまへられない。この二年ほどは罐麦酒を(矢張り)二本と、サンドウィッチの組合せに落ちつきつつある。葡萄酒やお酒は呑まない。京都驛を出てから始め、名古屋を過ぎた辺りで終る。乗り込む前、かるく食事を済ませてあるから、その程度でも困らない。それに着到の時間帯次第で、そのまま呑みにも行けもすると思へば、寧ろ適切と云へなくもない。これから三年も續けば、新しい習慣が出來ることになる。

 

 何年か前までは、初冬…霜月の頃になると、新宿發の特別急行列車、あずさ號で甲府に出掛けてゐた。ヌーヴォが出たお祭りが終つた勝沼甲府は實に穏やかで、紅葉と富士の姿を堪能するには具合が宜しい。

 三鷹驛を過ぎたら、罐麦酒でお弁当をやつつける。それから葡萄酒半壜。カップのお酒にすることもある。撰択はお弁当次第だが、洋風だから葡萄酒、和風だからお酒とは限らない。厚揚げを焚いたのなんて、案外なほど、葡萄酒に似合ひますよ。或はタルタル・ソースをたつぷり使つたチキン南蛮にお酒をあはすのもうまい。どんな組合せにするのか頭を捻るのも乗車前の樂みであつて…話が逸れる、留めませう。

 新宿から甲府までは大体一時間半。新幹線に較べると些か短くはあるが、あずさ號はさうだと思へば、それほど気にはならない。甲府驛に着到するのは醉ひを感じた辺りで、ワイナリでもヰスキィの醸造所でも、いい気分で訪ねられる。

 復路のあずさ號は、甲府驛に隣接する百貨店と呼べばいいのか、そこに入つてゐる酒屋でカップの葡萄酒と罐麦酒、隣にある持帰り専門の焼き鳥屋でたれを二本か三本、買ひ込んであずさ號に乗る。焼き鳥のたれと葡萄酒は、フランス人の知らない取合せなんですよ。往路より随分と簡素なのは、居眠りの時間が長いからで、理窟に適つた習慣なのだと云つておく。尤も近年は甲府行きも無沙汰をしてゐるので、習慣だつたと過去形にするのが正しいかも知れない。

 

 さういふ習慣を持つのが、いいことなのか、判らない。

 一定の型があるのは安心する、と見るのは正しく、決つた型に安住する怠惰でいかん、と見るのもまた正しい。わたしはどちらかと云ふと、前者に与する。話を少し広げると、吉例や恒例には、時間の区切りを示す役割があるでせう。お正月を考へたらいい。朝から一ぱい呑んで、お雑煮を食べ(お餅は何個食べませうか)、御節を摘めば、年の始めのいい気分になれる。御節でなくとも、麦酒とソーセイジとザワークラウト、焼酎に豚の角煮、紹興酒に水餃子でも何でもいいんだが、時節の区切りに、何を呑みまた食べるか、決つてゐるのは気分がいい。

 そんなでもないなあ、と思ふひとまでは、こちらの知つたことではない。

 えーと。それでですね。さういつた幾つかの区切り…吉例や恒例を、うんと矮小にすると、初冬のあずさ號や年末のこだま號に繋がるのではないか。そろそろ切符を手配しなくちやあと思ひながら、何摘みに何を呑まうか、考へるのは樂みなもので、その樂みはひよつとすると、呑み且つ食べることに勝るかも知れない。いや半ば本気で云ふんですよ、わたしは。そしてその場合、ある程度であつても、型が定つてゐる方がいい。文字通りの自由は存外、不便でもあつて、何かしらの制約…習慣を持つておけば、如何にうまく収め、また外すかの工夫が生れ…さうな気がする。こだま號でのお酒にチーズや、のぞみ號の麦酒とサンドウィッチ、あずさ號の葡萄酒と焼き鳥は、その一例である。外の特別急行列車では、今のところ、習慣を持合せない。