閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

774 ユル

 弛緩といふ熟語はどちらも"ユルム"と訓める。

 心理肉体の張り詰めた感覚。

 世間さまの締めつけの感覚。

 さういふのがほぐれる気分を示してゐる気がする。堅苦しく"シカン"と訓むより"ユルム"方が、語感に適つてゐるのではないだらうか。

 と始めたのには、ちよつとした理由がある。多少、時事的な話もするけれど、その辺は勘弁してもらひますよ。

 武漢發と思はれる感染症が拡大して、一ばん迷惑を蒙つたのが飲食店…中でも酒場だつたのは、云ふまでもない。酒場が迷惑を蒙るのだから、酒呑みの我われが二次的な被害者になるのは当然で、この二年か三年は、僅かな例外はあるにしても、家で呑むしかなかつた。詰らない。かう云ふと

 「家で呑むのだつて、惡かあないよ」

好きな銘柄と、好きな摘みで、好きに呑めるんだから。さう反論が出るのは当然だし、その指摘は必ずしも誤りとは云へない。併し家に居て呑むと、どうしたつて、光熱費の支払ひだとか、明日の仕事の手筈だとか、由無し言が心をよぎる瞬間がある。興を削がれる。

 「さういふ由無し言を、横に措けるのが、呑む樂みぢやあなかつたか」

わたしは礼儀正しい男だから聲には出さないにしても、さう思ふのは事實でもある。動物園に行つて、蝙蝠に説教をしたくもなる。動物園の蝙蝠諸君に責任は無いのだけれど。

 由無し言から離れ、心身をユルメるには矢張り、酒場がいい。尊敬する吉田健一は自宅では呑まず、週に一度か月に何度か、決つた日にお晝から出掛けて呑んだといふ。洋食屋でシチューやフライと麦酒を平らげ、ビヤ・ホール、料理屋、焼き鳥屋、おでん屋、バーと渡り歩いたらしいから、話を半分にしても、随分な豪傑である。

 併し原稿を書き〆切に追はれ、出版社への義理だの、文壇のつきあひだの、重なるとしたら、肩も首も気分だつて凝るだらうとは、想像力を働かすまでもない。またそれをほぐすのに、たつぷりの時間と酒精、何より原稿の催促やら講演の依頼から、断然離れた空間が必要だとも。かういふ時、家にいいお酒があつても、呑みたくなるものだらうか。

 我われは批評家ではない。従つて〆切は勿論、座談會だの講演だのに追はれる心配も無い。ではあるが、吉田が知らなかつた締めつけを、我われが感じないと断じるのは間違ひので、さういふ夜…いや晝からでもかまはないが…の為に酒場はある。その酒場が實に長期間、暖簾を出さなかつたのだから、迷惑にも程度があると云ひたくなる。

 「自ら撰んで、出さなかつたわけではない」

 「さう。出せなかつたのだ」

酒場の大将や女将さん(マスターやマダム、ママも含めて)から、猛烈な反發をくらふだらうか。くらふだらうな。國と地方の首長が、営業の"自粛"や時間短縮を求めたのは

 「緊急事態宣言や蔓延防止措置だよ、うん」

だから、その反發は筋が通つてゐる。大体から"自粛ヲ求メル"つて、妙な云ひ廻しぢやあないか。酒場側が怒つたとしても無理はない。喫茶店のテイブルで奥さま方が二時間、お喋りに花を咲かすのと、ひとりで酒場に潜り込み、壜麦酒にもつ煮と串揚げで過す半時間と、どつちがましだらう。

 その宣言やら措置やら、或は注意喚起に、世間が従順でなくなつてきたのは、体感でいふと令和三年の終り頃からで、当り前の反応だつたと思ふ。出しては解除されたそれらの中身が都度、同じと呼べる程度だつたもの。すりやあ

 「ふざけられちやあ、こまる」

さう感じない方が、どうかしてゐる。前回の發令中の効果を検証した結果の同じ中身なら、多少は我慢の余地も残つた筈なのに。検証をするだけの時間も労力も知見も無かつたと、想像は出來るけれど、阿房な態度を撰んだものだと思ふ。

 ま。惡くちはこれくらゐで収めませう。この手帖にも、保ちたい品位はある…疑念の余地は認めるけれど。

 發生と拡大と変異と(ある程度の)沈静化を経た我われは、嗽と手洗ひとマスクの常用、後は当面續くだらう定期的なワクチンの接種で、相当程度、感染や發症を防げる、と學んだ筈である。ごく簡単に、節度を持つた行動と纏めてもいい。實際、わたしの周辺ではわたしも含め、家族親族、友人知人とそのご家族のたれひとり、感染も發症もしてゐない。

 「それは皆が我慢した結果である」

 「もう暫く我慢を續けつつ、当面は様子を見て、適切に判断し、次に移るのが望ましく、また正しいのだ」

と反論されるだらうが、では枯野を焼く焔のやうな速さと規模の感染は一応、収つてゐる現状、何が"次に移る"起点になるのだらう。さういふ人びとは、その起点になつても、今暫し"様子を見"續けるべきだと主張するのではなからうか。わたしはこつそり、惡しき完全主義者と呼んでゐる。

 当面といふのなら、この腹立たしい感染症は当面…もしかしてこれからもあり續ける。様子を見たいひとを止めはしないけれど、そこまでお付きあひをするのは、終りと決めた。人間、いつまでも家に籠るわけにはゆかないのだ。

 ここまでが、令和四年皐月をもつて、酒場行きを解禁した紆余曲折…即ち前置き。自分で云ふのも何だが、こんなに長くなるとは思はなかつた。それである金曜日、仕事終りに某所の某酒場…立呑屋に足を運んだ。長の御無沙汰である。

 カウンタで六人、詰めて八人。

 テイブルがふたつ、あはせて八人。

 それくらゐの小さなお店で、摘みがうまい。摘みがうまければ、酒精の味も佳くなるのは、世界の数少い眞實のひとつである。どうも今晩はと入つたら

 「や。丸さんぢやあないの」

と迎へられて安心してカウンタに場所を取つた。麦酒から始めたくなつて、赤ラベルにした。このお店は妙なことに、冷藏庫がカウンタ側にある。一本出して、もらひますよと云つたら、隣のお姉さん(顔を知つてゐる)が

 「久しぶりよねえ」

と最初の一ぱいを注いでくれた。嬉しくなつた。周りのお客と乾盃して呑んだら、まつたく旨かつた。たれが書いたのだつたか、壜麦酒は(樽詰めとちがつて)、いつ呑んでも同じ味だからいいといふ意味の一文を目にした記憶があるが、断然まちがひである。樽詰め麦酒の味が、壜詰めに較べて、注ぎ手の技量に頼るところまではその通りだが、麦酒は腕で呑むものではない。

 いきなり出たお摘みを見て、困つたなあと思つた。豚の内蔵を塩茹でしたらしいのと、さつと焚いてある貝まではいいのだが、もみぢ…鶏の足先は、どう食べればいいのか、見当がつきかねた。すすどい爪があるのも気味が惡い。そもそも食べる部分があるのか知ら。こちらの困惑顔を、ママさんも他のお客も笑つたのは、もみぢは冗談で用意したらしく、先客(但し男に限る)も引つ掛つた所為らしい。なんだ、をかしいと思つたのだよ。

 改めてお店の流儀で、お摘みを出してもらつた。大振りの鉢に、煮ものや和へもの、焼きものが盛つてあつて、好みの三種を撰べる。

 卯の花

 蕪の酢のもの。

 柳葉魚の南蛮漬け仕立て。

 これあ、お酒にしなくちやあね。と考へるのは当然の話で[OPUS]といふのを試した。豪州の酒米で醸つたらしい。味はひについて云々するのは避けるけれど、三点のお摘みにうまく引き立てられてゐた。醸り手が凝りすぎ、おれがおれがと前に出て、摘みに目を瞑つてしまふお酒(さういふのが少からずあるのは残念でならない)より、好感を抱いていい。

 沈黙のまま呑む筈はない。莫迦みたいに大聲を立てないだけのことである。酒場は知らない者同士が顔をつきあはす場所なのだから、当り前の態度といふものだ。黙食なんて気色の惡い言葉なんぞ、蹴散らしても咜られる心配はなからう。尤も何を喋つたか、丸で記憶に無い。酒場のお喋りなぞ、そのくらゐが丁度いいんである。

 赤ラベルを注いでくれたお姉さんが前夜、誕生日だつたと聞いたから、お祝ひ代りにヰスキィを一ぱい、奢らしてもらつて、お仕舞ひにした。存分にユルんで家に帰り、速やかに蒲団へ潜り込んだのは云ふまでもない。