閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

775 閃き

 發祥に色々の説はあるらしいけれど、そこは触れない。わたしの印象だと、揚げた鶏肉を甘酢に漬け、タルタル・ソースを添えた料理が、チキン南蛮である。うまいですな。ごはんと一緒でいいし、麦酒にも合う。数ある鶏肉料理で番附けを作ったら、横綱大関は難しいにしても、前頭の上位…もしかして小結辺りの地位を得るのは間違いない。

 實際、お腹が空いた晝下り、定食屋の品書きに"チキン南蛮定食"の文字を見つけ、或はコンビニエンス・ストアやマーケットに"チキン南蛮弁当"があった時の

 「これでおれの空腹問題は解消した」

の安心感は大したもので、同じチキンでも、カツやソテーだとこうはゆかない。カツとソテーが弱いのではなく、南蛮が強すぎるので、カツとソテーの愛好家は嘆かなくてもよい。

 と。ここまで手放しの絶讚を捧げたが、果して本当なのだろうか。チキン南蛮を分解すると、鶏の唐揚げ(或は竜田揚げ、でなければ揚げ焼き)に、甘酢あんとタルタル・ソースである。食べものを分解するのに意味があるのかと訊かれたら、それあそうだと応じたい。応じつつ、うまいと思える要素を知るのに、他の方法は無かろうとも思う。

 それでチキン南蛮がうまいのは、チキンより甘酢あんとタルタル・ソースに、多くを負っている気がされる。そこに贔屓があるのは、認めなくちゃあならない。ことにタルタル・ソースはわたしの好物で、玉葱にハムにうで玉子なぞを混ぜたのが出ると、歓びの聲をば、上げざるを得なくなる。などと書いたら、我がすすどい讀者諸嬢諸氏から

 「要するに丸太は」

タルタル・ソース(と甘酢あんの組合せ)が好きなのではなかろうか、と指摘されるかも知れない。云われてみればその通りで、タルタル・ソースはソース族の一員なのに、それだけでもおかず…は流石に大袈裟なら、摘みになり得る。出自が些か特殊なのが、理由なのだと思えるが、いちいち踏み込むのは控えておく。

 ひとつ念を押すと、タルタル・ソースは、具の受け容れ幅がおそろしく広い。たくわんや辣韮、ピックルス、搾菜。そういうのを刻みいれると、味の表情が随分と変る。枝豆が入るのもうまい。基になるのはマヨネィーズだから、そう不味くなる心配もせずに済む。最も簡素に仕立てたのが、チキンに限らず、サモンや鯖にも似合うと思えば、表情の変化は味の樂みとまあ同じだと考えていい。

 やっと話がチキン南蛮に戻つて、甘酢のあんが中華料理から、タルタル・ソースはヨーロッパからやってきたのは、頭を捻るまでもない。併しいつ、たれが…というより、何を切っ掛けに、合体を思いついたのか。

 九州の土地柄、鶏肉は当り前に食べていたとして、中華式と西洋式が入り混ざる事情が判らない。肉と酢とソースの合体以前から、九州は外に開けていた(間口の広さは兎も角)のは間違いない。遥かに遡れば、大宰府辺りは列島で最先端の土地…都市だったし、近世を見ても、崎陽は西洋に向った針穴のような都市だった。異質な食べものが混在し、纏まれる土壌は、他の土地別の都市より濃かったと見てもいい。

 尤も、チキン南蛮の誕生地と目される日向は、瀬戸内側である。豊かに發展した歴史があっても、それは國内向け、海を挟む交流は、寧ろ伊豫が相手だったと思われる。宮崎の冷ツ汁とほぼ同じ食べものが、宇和島にもあるくらいだもの。

 「なーに。ややこしいことを考えなくたって、天才的な料理人の天才的な閃きだったのさ、きっと」

と断じて仕舞えれば話は早いのだが、背景が無ければ、閃きには到らない。背景とは幼い頃、親が何を食べさしたとか、周りの大人が何を食べていたとか、旅先で、店で、友人と、恋人と、或はひとりで、何を味わったか。味わっているか。そういう積み重ねが豊かになった時、不意に頭の端っこから飛び出るのが閃きの正体だろうと、わたしは睨んでいる。

 ここから話を、發想だとか秀才と天才の差異だとか、そっちに広げることも出來なくはないが、それはチキンに甘酢あんとタルタル・ソースを纏わせたたれか…もっと大きく、それを閃かせた日向の文化と呼ぶ方が、より正確だろう…に失礼な態度である。チキン南蛮…甘酢あんとタルタル・ソースとの組合せに舌鼓を打つて

 「矢つ張り、チキン南蛮はうまいね」

と呟きながら麦酒を呑み干すのが、和洋中を織り混ぜた閃きと、それを洗練さした人びとへの、正しい敬意の示し方ではないだろうか。