閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

874 計劃を打合せた話

 世の中には使いたくないけれど、使わざるを得ないアプリケーションがあるもので、おれの場合、LINEがその位置を占める。理由までは踏み込まない。併し打合せには便利なのは認めなくてはならず(おれは公正な男なのだ)、そのLINEで頴娃君との打合せに臨んだ。

 「花粉症は今のところ、出ていないですよ」

だそうで安心した。おれは持合せない症状だから、實感は六つかしいけれど、つらくない方がいいに決っている。

 

 お互い、鶴見の東横インの予約が取れたこと、驛ビルとマーケットがあることを確認して、寝床と晩めしの心配はないなと意見の一致を見た。さてでは、見學と試飲の後の晝めしどうしませうか。

 「(工場に併設されている)ビアビレッジにレストランだかがある筈だから、そこでやっつけましょう」

そう提案したが、頴娃君の調べはおれより緻密で

 「臨時休業中ですぜ」

と切返された。そうなるとこっちに浮ぶイメージは皆無である。済まぬ後は解らないと白状した。すると神奈川人であるところの頴娃君は素早く頭を働かせ

 「みなとみらい辺りまで足を伸ばして、蕎麦を啜って、ぶらナンブを決めましょうか」

ここで説明を入れると、"ぶらナンブ"は"ぶらぶら歩くニューナンブ"の略。要するに散歩だろうと云うのは誤りで、名前を附けると、その名前に意味が生れる。生れた意味は形をつくる。つくられた意味が行動に影響を及ぼすのは寧ろ当然であって、それは大谷崎が『文章讀本』ですすどくも指摘した通りである。世界は言葉に縛りつけられている…そんな風に出來ているのではないか。どこかのたれかが

 「初めに言葉ありき」

と宣したのは正しかった…話を広げすぎたから戻すと、頴娃君の提案におれは賛意を示した。蕎麦好きのかれがわざわざ蕎麦屋と云う以上、不味い蕎麦屋に案内される不安はない。これで残るのは

 「翌日をどうするか」

という点で、こちらは纏まるに到らなかった。何せおれは神奈川の地理にイメージを持っていないし、頴娃君だって隅々まで熟知しているわけではない。候補に上がったのは三崎漁港で鮪を奢るか、横須賀の三笠に敬意を示すか。まあ兎に角調べてみましょう。

 

・明治卅一年、英國ヴィッカース社に發注。

 ※ルイス・キャロルの没年。

・翌卅二年に起工。

 ※勝海舟の没年。

・竣工は同卅五年。

 ※アンセル・アダムスの生年。

  正岡子規の没年でもある。

・同卅八年、聯合艦隊旗艦として、東郷平八郎座乗。

 ※旅順要塞開城、日本海海戰。

  グレタ・ガルボの生年。

  叉エルンスト・アッベの没年。

・大正十二年、軍縮条約に基づいて廃艦が決定され除籍。

 ※関東大震災

  池波正太郎三波春夫の生年。

・同十四年に記念艦としての保存が決定。

 ※ライカⅠ型(A)發賣とツタンカーメン王の墓の發見。

  "地獄大使"こと潮健児桂米朝師匠の生年。

  尊敬する丸谷才一先生の生年でもある。

  叉日露戰争時の将軍だったクロパトキンの没年。

 

 卅年足らずの間に色々あったのだな。序でながら、現役の頃も、保存されてからも、この艦は様々のトラブルに見舞われたから、建造当時の姿を留めているわけではない。併し負の面だけで捕えるより、それでも生き延びたちから…實際、前弩級艦としては唯一の現存らしい…を称賛したい。歴史は時間の積み重ねであり、歴史への敬意がその時間への敬意だと思えば、鮪の誘惑は三笠に及ばない。なので頴娃君には横須賀を推すことに決めた。