世の中には使いたくないけれど、使わざるを得ないアプリケーションがあるもので、おれの場合、LINEがその位置を占める。理由までは踏み込まない。併し打合せには便利なのは認めなくてはならず(おれは公正な男なのだ)、そのLINEで頴娃君との打合せに臨んだ。
「花粉症は今のところ、出ていないですよ」
だそうで安心した。おれは持合せない症状だから、實感は六つかしいけれど、つらくない方がいいに決っている。
お互い、鶴見の東横インの予約が取れたこと、驛ビルとマーケットがあることを確認して、寝床と晩めしの心配はないなと意見の一致を見た。さてでは、見學と試飲の後の晝めしどうしませうか。
「(工場に併設されている)ビアビレッジにレストランだかがある筈だから、そこでやっつけましょう」
そう提案したが、頴娃君の調べはおれより緻密で
「臨時休業中ですぜ」
と切返された。そうなるとこっちに浮ぶイメージは皆無である。済まぬ後は解らないと白状した。すると神奈川人であるところの頴娃君は素早く頭を働かせ
「みなとみらい辺りまで足を伸ばして、蕎麦を啜って、ぶらナンブを決めましょうか」
ここで説明を入れると、"ぶらナンブ"は"ぶらぶら歩くニューナンブ"の略。要するに散歩だろうと云うのは誤りで、名前を附けると、その名前に意味が生れる。生れた意味は形をつくる。つくられた意味が行動に影響を及ぼすのは寧ろ当然であって、それは大谷崎が『文章讀本』ですすどくも指摘した通りである。世界は言葉に縛りつけられている…そんな風に出來ているのではないか。どこかのたれかが
「初めに言葉ありき」
と宣したのは正しかった…話を広げすぎたから戻すと、頴娃君の提案におれは賛意を示した。蕎麦好きのかれがわざわざ蕎麦屋と云う以上、不味い蕎麦屋に案内される不安はない。これで残るのは
「翌日をどうするか」
という点で、こちらは纏まるに到らなかった。何せおれは神奈川の地理にイメージを持っていないし、頴娃君だって隅々まで熟知しているわけではない。候補に上がったのは三崎漁港で鮪を奢るか、横須賀の三笠に敬意を示すか。まあ兎に角調べてみましょう。
・明治卅一年、英國ヴィッカース社に發注。
※ルイス・キャロルの没年。
・翌卅二年に起工。
※勝海舟の没年。
・竣工は同卅五年。
※アンセル・アダムスの生年。
正岡子規の没年でもある。
※旅順要塞開城、日本海海戰。
グレタ・ガルボの生年。
叉エルンスト・アッベの没年。
・大正十二年、軍縮条約に基づいて廃艦が決定され除籍。
※関東大震災。
・同十四年に記念艦としての保存が決定。
尊敬する丸谷才一先生の生年でもある。
叉日露戰争時の将軍だったクロパトキンの没年。
卅年足らずの間に色々あったのだな。序でながら、現役の頃も、保存されてからも、この艦は様々のトラブルに見舞われたから、建造当時の姿を留めているわけではない。併し負の面だけで捕えるより、それでも生き延びたちから…實際、前弩級艦としては唯一の現存らしい…を称賛したい。歴史は時間の積み重ねであり、歴史への敬意がその時間への敬意だと思えば、鮪の誘惑は三笠に及ばない。なので頴娃君には横須賀を推すことに決めた。