閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1051 二世紀半後の贅沢

 本棚に"コシナ社がフォクトレンダーの銘を甦らせた頃"、出版されたムックが埋もれてゐた。長く見ない知人の顔を見た気分になつて頁を捲ると、最初のフォクトレンダー社の創業が(光學機器と精密機械の製造所だつたらしい)が、千七百五十六年と書いてあつたから、一驚を喫した。二世紀半余りも遡れる。

 日本の元號でいへば寶曆六年。

 時の御門は百十六代桃園帝。

 公方は九代徳川家重

 町奉行であり寺社奉行でもあつた大岡忠相の没年。

 實は叉ウォルフガング・アマデウスモーツァルトの生年でもある。元號と西暦の対比は面白いなあ。

 尤も令和の今、フォクトレンダーは會社の名前ではなく、レンズ銘である。廿世紀末(さう云へばもうすぐ、廿一世紀も四半分が過ぎる)に甦つた直後は、ベッサといふ機種銘も立ち上つたけれど、こちらは残念ながら、道を誤つて、長命を保てなかつた。

 レンズは銘を持つのが恰好いいことは、ニッコールに教はつた。その銘は幾つかあると、更に恰好よくなるのは、ツァイスから教はつた。タクマーやズイコー、ロッコール、セレナー、ヘキサノン/ヘキサー、フジノン/フジナー、エクターやアングロンやジンマー、クスナーを知るのはその後、フォクトレンダーのレンズ…へリアーにスコパー、ランター、ウルトロンやノクトンを知つたのは更に後だつた。詰り遅れたんだが、十八世紀半ばからの時間の経過を考へれば、何といふほどでもなからう。

 大体からフォクトレンダーとそのレンズ群の名前を意識したこと自体、コシナの發表が切つ掛けであつた。もう手放したけれど、カラースコパーの卅五ミリは二回、買ひもした。タイプCと称された姿のいいレンズで、最初はライツミノルタCL、二度目はキヤノンPに附けた。廿一世紀レンズなのだから、冩りにまつたく問題はなかつた。

 コシナフォクトレンダーの銘のカメラであるベッサL、同R、同Tも使つたことがある。

 目測スナップに特化したL。

 オールマイティを目指しただらうR(これは後継のR2で完成に到る)

 純粋な距離計内藏機…本家フォクトレンダーを彷彿させる変態機(褒め言葉)であるT。

 初期の三機種は、それぞれの目的が明確であり、スタイリングに共通項を持たせながらも、合目的的な部品の配置が好もしかつた。減価償却の終つた金型と、プラスチックの多用で、廉価にしたのもよかつた。序でながら、ビトー銘のコンパクトな機種を私は、今も待つてゐる。

 仮に改めてベッサを手に入れるならTを撰ぶ。以前は黑だつたが、今回は銀にする。出來るだけ惡派手に仕立てたい。なので先づ、グリップかトリガー式ワインダを附ける。このカメラにはファインダが内藏されてゐない。焦点距離の異なるレンズを使ひわけると考へれば、ユニバーサル・ファインダを探すことになるが、卅五ミリなり五十ミリなりに限定するなら、いちいち交換する方が樂しさうである。上に挙げた銘でいへば、レンズはニッコールにヘキサノン、セレナー。或はソヴェトにも、インダスターかジュピターがあつた。何にするかは、ゆつくり考へればいいとして、フヰルタとフードはがつちり附ける。要するに、國境と時代の乱交状態で使ふのが、ベッサTには似合ふ…気がする。恐ろしく贅沢な話であつて、二百五十年前のオーストリアにかういふ樂みがあつたら、アマデウスは冩眞やレンズをモチーフにした小品を作つただらうか。