閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

974 手すさびレンズ

 銀塩一眼レフが、カメラの中心になつたのは、昭和卅年代の半ば以降だと思ふ。当時の交換レンズは、五十ミリを基準に、広角側は卅五ミリか廿八ミリ、望遠側は百卅五ミリだつたといふ。但しカメラ本体と五十ミリまでは買へても、広角望遠レンズまで手を伸ばすのは、中々六つかしかつたともいふ。私が生れる前の話だから、どこまでが事實、どこから誇張なのかは、判らない。交換レンズの値段が、当時の大人の平均的な収入に対して、余程に割高だつたのか。確實だと思へるのは、令和の現在より

 「一本のレンズで撮らねばならない状況」

が多かつたらうといふことで、上に挙げた経済的な事情とは別に、交換レンズ自体の数も質も、現代と比較にならない貧弱さだつた点も、考へておく必要はある。憐れんでいいものかどうか。

 併し手持ちのレンズ一本で、広大な風景や可憐な草花は勿論、愛しいあの娘や、大眞面目な記念冩眞まで、撮るとなつたら、色々様々諸々の工夫(それから若干の投資)が求められた筈である。それは経験と技術として、蓄積されたにちがひない。その辺の大体がカメラの機能と、ソフトウェア、そして高性能なズームレンズで、何とかなる現在と、比較していいのか、疑問は残るとして。

 

 それは兎も角、一本のありふれた(詰り廉価でもある)レンズで、何が出來るだらうか。歴史的な経緯に敬意を表する意味で、その一本は五十ミリ単焦点とする。

 先づテレ・コンヴァータがある。これで焦点距離を、七十ミリ叉は百ミリに出來る。開放値が暗くなる分、使ひ勝手に影響する可能性はあるけれど。

 それから近寄つて撮る為の、フヰルタ、或はチューブがある。レンズによつては、ベローズに対応したり、リバース・アダプタが使へる可能性もある。

 画角を卅五ミリくらゐに拡げる、ワイド・コンヴァータに就ては、寡聞にして知らないが、仮にあれば、五十ミリ一本で、準広角から中望遠、近接撮影までカヴァ出來る。

 「卅五ミリから七十ミリ、百ミリなんて、旧式のズームレンズ並みだなあ」

 「第一、コンヴァータやらフヰルタやら、附けて外してするのは、不便といふより、面倒ぢやあないか」

と思ふひとがゐたら、それはそれで正しいけれど、ここで云ふのは游戯であり、冗談でもある。さうである以上、不便だの面倒だのが無いと、面白みに欠ける。かういふ游びは、銀塩カメラの特権ではなく、レンズ交換の出來るデジタルカメラに一本、その手の游び用を混ぜたつて、お小遣ひにそれほどの無理はかかるまい。廉なのを手に入れて、あれこれ試すのは、休日の午后の手すさびに、丁度よささうである。