閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

881 好きな唄の話~月と専制君主

 佐野元春のアルバムで一番出來がいいのは、ライヴ盤である『HEARTLAND』と、わたしは信じてゐる。異論があつて不思議ではないが、好みに属するのだ、そこは勘弁してもらひます。『HEARTLAND』は『Café Bohemia』に収められた曲が中心になつてゐて、この唄はその『Café Bohemia』に収録されてゐる。『Café Bohemia』自体が、佐野のスタジオ・アルバムとして素晴しい出來で…ここは我慢しませう。止めどがなくなつてしまふ。

 

 ところで我が國のポップスやロックが苦手とする(露骨にへたくそと云つてもいいんだけれど)のは、政治的な諷刺の唄…わたしは勝手に"ポリティカル・ソング"と呼んでゐる…だと思ふ。言葉の撰び方が稚拙で冗談が冗談になつてをらず、聴いてゐて、気耻づかしくなる。たとへば桑田佳祐はさういふ歌詞作りを好む傾向があるのに、あの巧者にして、この分野に限つては悉く駄作なのは、いつそ象徴的と云ふべきか。そこで現代のニツポンは、"痛烈で辛辣な諷刺…狂歌のやうな…を必要としない社會"なのかとも考へられてくる。

 

 かう書くとこの唄に諷刺的な要素が含まれ、またそれが重きをなす…詰りポリティカル・ソング…と思はれさうで、併しその断定は六つかしい。皮肉を感じさせる歌詞なのは確かだが、どちらかと云へばそれは童話寄り(ほら、古い形式の童話には、仄かな、或は露骨な惡意が含まれることがまゝあるでせう)だから見過せるし、見過して困りもしない。そもそも佐野に、ポリティカル・ソングの意図があつたのかもはつきりしない。

 穿ちすぎですよ。と云はれたらその通りなのだらうが、架空の昏い王國…さう。我が儘勝手な王さまが、玉座で空威張りの棍棒を振り回してゐるやうな…を舞台にしたとおぼしき歌詞は、時にひどく意味ありげに響く。血の臭ひはせず、悲鳴も怨嗟の聲も聞こえず、浮ぶのは影絵芝居の一場面みたいなのに。その奇妙な手触りは、佐野元春といふ特異な作詞者(良くも惡くも、と云つておく必要はある)にして、更に例外的に感じられるのだが、さてそれはどんな位置を占めてゐるのだらうか。