閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

898 鶏の皮の話をもつぺん

 本当なのかどうなのか、水戸の徳川光圀は鮭の皮が大の好物で、一寸の鮭の皮があれば、何万石かと交換してもいいと云つたといふ。水戸を流れる那珂川は鮭の遡上で知られるから、御老公が鮭を好んだのは間違ひないし、鮭の皮が旨いのも確かだけれど、小大名の身上並みに値うちがあるかと云ふと、疑問を呈したくなつてくる。

 尤も皮が旨いのは、鮭に限つたことではない。鶏の皮を私は好む。塩焼きに葱か、揚げてぽん酢か。ただ鶏皮は失敗つた料り方だと、歯触りも匂ひも途端に感心出來なくなる。さう思ふと、扱ひは中々に六つかしいらしい。

 かういふのは空腹に任せて食べるのではなく、一かけ二かけ摘んで、麦酒や酎ハイを呑むのがいい。貧な気配がするなと思つては誤りである。時間を掛けて摘み、且つ呑むのだからね、寧ろ贅沢に属するお摘みと云つていい。

 勿論お酒や葡萄酒を撰ぶのだつていいけれど、よほどすすどいか、腰の坐つたのでないと、脂つ気に負けるんぢやあなからうか。この辺りは好みの範疇になるから、強い主張は控へる方がよささうではある。

 ここで気になるのは、我われのご先祖がいつ頃から、鶏の皮に舌鼓を打つのを覚えたのだらうといふことで、そんなに古く話ではないと思はれる。遅くても江戸期に鶏は食べられてゐたが、食用鳥類の中でその格は高くなかつた。千代田の御城で上様の食卓に供されなかつたのは間違ひない。であれば、将軍家に次ぐ家格の水戸徳川家でも同様だつた筈で、光圀公も鶏皮の旨さを知らなかつたと考へられる。待てよ。あの時代劇で有名な(思想史的には無意味としか云へない史書の編纂に熱中した)貴人は、食べものには妙に熱心なひとでもあつた。拉麺の遠い原型を樂んだらしいのは知られてゐるが、元々自家製の饂飩を振る舞ふ趣味もあつたといふ。大家の義太夫を聞かされる店子のやうに、家來は迷惑困惑したにちがひない。さういふひとなら、口煩い老臣の目を盗んで、下層民が好むといふ鶏(の皮)を食べたと想像しても無理は少い…かも知れない。尤も想像通りだつたとして、一寸の鶏皮を求めた逸話が残つてゐないから、御老公の舌を悦ばせるには不足があつたものと思はれる。