閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

583 肴を並べて呑みたい

 尊敬する吉田健一は生涯を呑み續けたひとで、その晩年は酒席でお箸を持つのが稀だつたといふ。どうぞ先生召し上つてくださいと云はれても、いえ大丈夫見れば美味いのは解りますと応じたさうで、この逸話を知つた時、呑み助の覚りだなあと、手を拍ちたくなつたのは忘れ難い。尤もこの批評家兼呑み助はまた、喰ひしん坊でもあつた。煩をきらつて引用はしないが、『私の食物誌』(中公文庫ビブリオ)を一讀すれば、何といふこともない筈のとんかつや粕汁が、腹立たしいくらゐ精密に描かれてゐるのは解る。その精密が、存分に味はひ尽さなくては成り立たないのも解る。吉田がお酒や葡萄酒と同時に、おつまみを存分に樂んだのは確實で、文學の力は時にひどく迷惑なのだな。

 わたしが余命を呑み續けられるかどうかは判らない。判らないがどうも、呑み且つ目で味はふ境地には達せなささうな気が、いやきつと達せないまま、人生を終らせると思ふ。吉田いはく、呑み助は朝から飲み始めて晝を過ぎ、月明りで夜に気附き、それが朝の陽光になるまで呑み續けるのが理想なのだといふ。解らなくはないが、ニーチェ的な意味ではない超人でもなければ、呑み續けは出來ても樂めないだらう。超人ではないわたしには無理な話だし、それ以前に肴…つまみの無いお酒はどうにも我慢ならないたちなんである。肴とつまみを分けるのは、後者即ちつまみは酒類全般が相手なのに対し、肴はお酒詰り日本酒を相手にする感じがするからである。たとへば鯵の南蛮漬けを用意して、お酒が相手なら肴と呼ぶし、焼酎や葡萄酒だつたらつまみ呼びになる。いい加減と云はれたらまつたくその通りだが、文學的な國語學的な使ひ分けと云つた覚えはなく、かういふ好みは文學より強い。

 

 文學の話ではなかつた。そつちはたれか眞面目な研究者に任して、この稿ではつまみ乃至肴…いや纏めて肴と呼ぶことにするが、そつちに集中したい。わたしの書くことだから、期待されると困るけれど、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏なら、その辺りは既に承知してくだすつてゐるとも思ふ。

 それで父親を思ひ出す。幼少の一時期を、当時は大日本帝國だつた地域で過ごし、敗戰の頃に帰國した。少年の頃は詰り餓ゑてゐた。であれば、食べものへの執着は烈しいのではないかと思ふのだが、父親はその執着が別の方向に働いたらしい。量は兎も角、品数の多さを歓び、ほんの少し、残す癖があつた。小學生だつたわたしは、給食を残さず食べませうと教育されてゐたから、不思議でたまらなかつた。お行儀が惡いとか、さういふことではなく、美味しいのに最後のひと口になるところで、もオええワ、となる理由の見当が附かなかつたからである。今となつてはその気持ちの想像も出來なくはなく、幸ひ父親は健在ではあるけれど、不肖の伜の想像が正しいかどうか、確めたいとは思へない。

 ここで念を押すと父親は所謂美食好みではない。母親の作つた料理に文句を附けたことは無いが、褒め言葉を聞いた記憶も、詰らなさうな態度で食事に臨んだことも無く…だから餓ゑの経験も含めて、食べること自体に関心はある…原初の体験として、美味いまづいとは縁が遠かつたのだらう。明治末生れの吉田も、戰中と敗戰後の餓ゑを体験してゐるが、かれには支那英國で過ごした少年期があつた。肉饅頭やビスケットやソーダ水が原体験にあつたわけで、当時を想像すると破格だつたのではないか。父である茂のやうに、外交や政治へ進まなかつたのは、かれ自身の性向と嗜好の結果だとは思ふけれども。

 

 ではわたしに父親の好み、癖が受け継がれてゐるかと云ふと、そこはよく解らない。さうでもなささうな気もするが、当人の決める話とはちがふ。とは云へ似てきたかと感じることもあつて、味つけではなく形式の部分。大鉢大皿に盛りつけたのより、小鉢小皿が並ぶのが嬉しい。スカンジナビアスウェーデンにスモーガスボードといふ形式がある。今は豪勢な宴席料理の印象があるが、ビーンズや燻製、油漬け、酢漬け、ジェリー、その他、色々を持ち寄つた、"ご近所の會食"程度が元々の意味。手料理を持つてくる決りはなかつたといふから、大慌てで壜詰や罐詰を用意した奥さんもゐたと思はれる。そこも含めて美味さうですな。香港の点心や日本式のバイキング(北欧の海賊…武装した漁撈民は、こんな形式で宴会をしたのか知ら)が聯想され、いやもつと近いのは、旅館の朝めしではなからうか。

 鯵の開きでなければ、鯖や鮭の塩焼き。

 玉子焼きもしくは生卵、或は温泉卵。

 蒲鉾。

 豆腐。

 佃煮。

 青菜と油揚げを炊いたの。

 梅干し。

 たくわん。

 白菜や胡瓜のお漬物。

 若布と蛸の酢のもの。

 甘辛く炊いた鶏のそぼろ。

 焼き海苔。

 思ひつくままに挙げても、これくらゐはあつて、土地や時節次第では(小聲で云へば予算の都合もある)、もつと変化に富む筈である。かういふのがお膳にちまちま並んでゐるのを見ると、きつと昂奮する。但し昂奮する原因は何かしらと考へるに、どうも美味しいから、といふ面は小さい気がする。まづいのが困るのは云ふまでもないけれど、感激するほど旨くないのが大半だらう。その点ではわざわざ昂奮するまでもない。併し事實としては昂奮するのは何故か知ら。自分のお膳に、ちまちまと、並んでゐる様は確かに喜ばしい。自分のお膳といふ点が大事で、獨り占め出來る。我ながら子供つぽいなあと思ふけれども、本心なんだから仕方がない。

 

 昂奮する事情が實はもうひとつある。詰り本題。

 上に挙げたのは本來、ごはんとお味噌汁、玄米茶とあはせるおかずで、確かにかういふ朝めしを用意してもらへれば、まつたく満足する。併しよく見ると、これらはおかずと云ふより肴に近しい。近しいと云ふより肴そのものと呼びたいくらゐである。ごはんに代つて、麦酒、吉田健一風に書けばビイルの中壜や、徳利の一本を置いても不自然ではなく、ベーコンやソーセイジやハム・エグス、ピックルス、チーズの欠片でもあれば、葡萄酒半壜を追加しても似合ふ。本音を吐くと、寧ろその方が嬉しい。それらはフランス式に次々と出されるより、最初からお膳に纏まつてゐるのが望ましく、あつちの小皿、こつちの小鉢と迷ひたい。お行儀の先生はぐつと眉を顰めるにちがひないが、その迷ひも樂みに含まれるのだから勘弁してもらひたい。

 お行儀の面は横に措いて、この小鉢小皿好みは、どうやら父親譲りであるらしい。正確には、量や脂に値うちを感じなくなる程度の胃袋になつて、生じた好みの変化が、似てきた結果なのだと思ふ。念の為に云ふが、意識して眞似をしたわけではないよ。山葵や辛子、生姜の類を山ほど使ふ癖(それで大体はこめかみを押さへる破目になる。懲りないのだらうか)は、正直なところ、見習ひたくはない。そこはまあ、兎も角として。朝めし的な献立の組合せは、肴としても魅力的なのは解つた。解りはしたが、上述の分量は多い。給食で教はつた影響は未だに強く、食べきれない肴が並べられると、罰が当りさうな引け目を感じて仕舞ふ。併し(ある程度にしても)数は慾しい。矛盾してゐる。だつたら一品の量を減らせばいい。と聯想が働くのは理の当然で、お猪口を使へばいいと気が附いた。たとへば深めのにうざく、厚揚げと青菜と鶏のそぼろを炊いたのや、あんをかけた豆腐。平らなのには烏賊と鮪、それから佃煮。小さなお盆に並べれば、箱庭のやうに豪華な…とは妙な譬へだが…肴が出來上る。これなら父親が残す心配も少からうし、吉田健一だつて、目で食べれぱいいとは云はないと思ふ。