閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

295 カハ

 徳川光圀といふひとはどうも好きになれない。儒學…朱子學の徒なのが大きな理由だと思ふ。前者は礼儀を口喧しく云ふ態度だし、後者は正邪に膠泥する態度だから、どちらも碌なものではない。何につけ(政治的な)イデオロギーが碌でもないのは世の常とは云へ、どうも光圀さんにはファッションでそれを身につけた感じがする。何せ徳川のひとだもの、大きな顔で長幼の序列や支配の正当性を論じたところで、たれに憚る心配もなかつたにちがひないさ。

 併しそれならあのひとのことは目を瞑ればいいとは云ひかねて、先づ光圀公は麺類が大好物だつた。閑があれば饂飩を打つてお客や家來に振舞つたさうだから、檀那藝の義太夫語りでなかつたことを祈りたい。また屡々、“我が國で最初に拉麺を食べた”と云はれてゐて、これは率直なところ怪しい。水戸が明の遺臣を迎へたのは事實で、その遺臣が麺料理を献上したのもまた事實ではあるが、どうもそれは、汁麺に数種の藥味を添へたものらしいから、今で云ふ笊蕎麦乃至つけ麺に近い食べものだつたのではなからうか。かう云ふと、水戸人には厭な顔をされさうな気がするけれど。

 もうひとつ、光圀公について特筆しておきたいのは、鮭の皮を溺愛したことで、一寸厚の鮭皮があればなあと嘆息したとやら。水戸茨城は鮭がうまい土地ださうだから、かういふ逸話を使はない手はないと思ふのだが、寡聞にしてそんな話を耳にしたことがない。幼児が夢見るバケツ一杯のプリンのやうな可笑しみが感じられるから、水戸の人びとは耻づかしがつてゐるのか知ら。西村晃里見浩太朗が鮭(の皮)に舌鼓を打てば、きつとユーモラスな場面になるだらうに。

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 一寸厚は流石に遠慮したくはあるけれど、確かに鮭の皮は旨い。また皮がうまいのは鮭に限つたことではなく、魚でも獸でも皮の近辺なら、舌鼓を打つのに相応しい。たとへば鶏の皮もそのひとつで、焼いてよく揚げてうまい。獨特の軟らかさを苦手にするひともゐるだらうが、わたしは気にならない。ことにぽん酢で和へたのは、脂つぽいのと淡白なのが混つて、主役の貫禄には欠けるとしても、要所をおさへる芝居上手な中堅役者のやうで、鮭皮がご老公なら弥七かお銀といつたところだらうか。

 そこで水戸の御方の御膳に鶏皮はあつただらうかといふことが気になつてくる。四ツ足ではないから、禁忌に触れはしなかつた筈だが、食べなかつたらうな。鳥類の肉にも格があつて、確か江戸の世の中での最高位は鶴、鶏は町民の鳥とされたといふ記憶がある。わたしなんぞは臆病だから、ああいふ華奢な鳥を食べたいとは思へない。そもそも旨いのかどうか。もしかすると皮の辺りは滋味に富んで、鶏では足元にも及ばないのかと考へてみたが、だとすればあのご老人は一寸厚の鶴皮を食べたがつて仕方がないといふゴシップが残りさうなものだ。それとも鶴に飽きた公が最後に辿り着いたのが鮭だつたのか知ら。