閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

924 趣味の惡い態度

 今からフヰルム式のカメラを買はうと思ふひとがゐたら、先づ私は止める。フヰルムは恐ろしく高額だし、現像にもプリントにも時間とお金が掛かる。要は御大尽の趣味道樂になつてゐて、さういふ贅沢も含めた游びは兎も角、当り前に冩眞を撮りたいなら、断然デジタル・カメラが望ましい。

 そんならさうではない…詰り冩眞を撮ることを主眼に置かない、フヰルム式カメラの樂みは、併し無いのかと訊かれたら、弄る樂みはある。そんな樂みがあり、たまに奮發して、そのカメラで撮れれば、もつと好もしい。と考へる時、そのカメラで使へるフヰルムは、ライカ判がいい。中判(たとへばローライフレックス)や大判(たとへばリンホフ)だと、カメラ本体も含め、入手自体が六つかしい。

 

 ではライカ判のカメラなら何でもいいのかとなつて、流石に幾つかの條件はある。

 

一、壊れてゐないこと。

二、修理が出來ること。

 

 上の二つが最初だと思ふ。"その気になれば"冩眞も撮れる点を蔑ろにしてはいけません。その後に

 

三、弄る箇所がたくさんあること。

四、色々のアクセサリがあること。

五、恰好が自分の好みに適ふこと。

 

が續く。シャッター速が何千分ノ一秒とか何とか、諸元表に記された数値は気にせずとも宜しい。そこが重要なひとは、現代のデジタル・カメラが、最善の撰択肢である。序でに

 

六、便利に拘泥しないこと。

 

を追加で挙げておきませう。何しろ最初の二條件を満たせるのは、(ほぼ)機械制禦の機種に限られる。スムースに使ふなんて、最初から諦めるのが正しい。こんな風に考へを進めると、コダックのレチナⅢcが浮んできた。我ながら驚いた。詳しいことは讀者諸嬢諸氏よ、ご自身でお調べなさい。初めて…卅余年前なのは間違ひない…買つた"クラッシックな"カメラである。すつかり忘れてゐたのに、思ひ出したのは、初めてだつた分、印象が強かつた所為か。

 横開きのカヴァを閉ぢた状態では非常にコンパクト。開けると蛇腹を隠したアルミニウムの鏡胴がせり出し、頑丈さうなのに軽やかでもあつた。底面に配置された巻き上げレヴァは、構造的に脆いらしく、買ふにあたつて

 「女性の肌を触るやうに扱つてください」

さう注意を促された。現代だと何とかハラスメントだと非難されるかも知れない。スタイリングに文句は無いけれど、入手はやや六つかしからうし、メインテナンスにも難がある。この稿の主旨には適ひにくい。

 素直にニコンのFM系を撰ぶ判断もある。我われくらゐの年代にとつて、一ばん"カメラらしい姿"と云へば、きつとこの系統で、ペンタックスのSPやMX、オリンパスのOMもここに属する。FM系を先に出すのは、SPやMXやOMより、入手やメインテナンスの容易さで優位に思へるからだが、實際はどうなのか知ら。ニコンでも部品の交換を伴ふ作業は、受けつけてゐない気がする。技術を受け継がせる目的と、歴史への敬意を示す意味でも、自社を代表する機種に関しては、修理やメインテナンスを續けるのが、本筋だと思はれるのだけれど、そつちの話を始めると戻れなくなる。

 なので話を、ニコンのFM系が一眼レフ方式の代表なら、距離計連動方式の代表はライカⅢcだと話を逸らす。そこはⅢfかⅢgだとか、M型こそ代表だよと異論が出さうだが、機能と形状とスタイリングが過不足なく一致するといふ点で、Ⅲcが最も優れてゐる。入手は(他のライカと較べて)そこまで困難ではなく、修理調整も(費用の心配は別として)可能である。こちやこちや狭苦しい軍艦部のダイヤルやレヴァの配置も案配は宜しい。大元の設計が古い(基本的な構造は、大正期に登場したライカⅠ型と然程変らない)から、未完成や不便を補ふアクセサリも各種揃つてゐる。レンズだつてライツ純正に拘らなければ、セレナーでも、ジュピターでもエクターでも、冩りは兎も角、恰好いい姿の一本を好きに撰べる。

 

 ここまで書いてから念を押すと、仮にFMやⅢc(或は両方)を手に入れるとして、それで腰を据ゑて撮らうとは思ひませんよ、私は。ふと思ひたつた夜、一ぱい呑みながら、あちらこちらを動かし、時にレンズを附け替へ、ファインダを覗き、焦点合せの操作をして

 (その気になりさへすれば、ちよつとした冩眞だつて、撮れるのだぞ)

と考へつつ、空シャッターを切る…詰るところ、愛でる目的に就てだもの。惡趣味な話と受け流すのがあらほましい態度といふものだ。