閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

923 完成まで

 鶏もつ煮といふが、ざつと調べたら、"醤油と砂糖で甘辛く照りつけ"る調理法であつた。所謂もつ煮とは所属が異なつてゐる。用ゐる臓物は心臓や肝の類。棄てるのは勿体無い、どうにかならんかと工夫した結果、完成に到つたといふ。山梨県甲府市のウェブサイトを見ると、おほむね昭和廿五年頃とあるから、戰後生れのわかい料理と云へる。

 

 貧の産物だつたのは間違ひない。棄てる部位、臓物を色濃く味濃く仕立てるのは、倹約の證…有り体に云へば腐敗を誤魔化す為の…だもの。併しそれを鶏もつ煮に押しつけるのは不公平な態度で、普通の(とここでは云ふ)もつ煮も、遡れば事情は変らない。それに煮詰めるのが、山國である甲斐國の得意とする技法…我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、煮貝を思ひ出したまへ…と考へれば、鶏の臓物を丹念に照りつけ煮詰めた食べものが、甲州のたれかの頭にふいと浮び、叉出來上つたのも、奇とするに当るまい。

 

 ごはんの素晴しい友人であり、

 お酒の悦ばしい相棒でもある。

 

 甲府蕎麦屋辺りでは、比較的ありふれたメニュらしい。らしいで留めるのは甲府蕎麦屋を巡り歩いたわけではないからだが、簡潔簡便でうまい食べものが広がらない、と考へる方が不自然でせう。一鉢の鶏もつ煮とお漬物があれば、食事でも酒肴でも満足に値する。

 尤もこの鶏もつ煮、温かいうちに食べなければ、味があからさまに落ちる。何となく急かされる気分になるのは、残念と云はざるを得ない。お湯を張つたお皿に鉢を置くか、鉢を十分に温めれば解決すると思ふのだが、前述の県や市のウェブサイトでは、温かい(熱い)うちにどうぞとしか書かれてゐない。倹約メニュに料理屋めいた手間は掛けられない、とでも考へてゐるのか知ら。この手の料理は、小さな手間や工夫ひとつで、味がぐつと佳くなるのに、勿体無い。ここで我らが鶏もつ煮の為に弁護をすれば、一応の完成から八十年足らずといふ時間は、ひとつの食べものを洗練させるには短すぎる。後八十年、甲州人が丹念に照りつけ續ければ、鶏もつ煮の完成から、一応の二文字は省かれるだらう。どう考へたつてこちらの寿命が保たないのが、唯一そして最大の難点として残るけれども。