閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

931 甘辛

 どうも"甘辛"の冠が附いた品書きに私は弱い。鶏肉の甘辛炒めとか、文字だけで旨さうに思へてくる。頭の中では甘辛と旨いが殆ど直結してゐて、我ながら単純である。

 併し何が切つ掛けだつたものか。少年の頃、母親が作つてくれた、牛の端肉を炒りつけたのがそれかも知れず、もつと遡れば、お正月の焼いたお餅を食べる時に用意した砂糖醤油の可能性もある。さういつた経験が徐々に、刷り込まれた結果の、直線的な聯想なのだと、ここでは考へておきませう。

 甘と辛の調へ方…砂糖や味醂や味噌、醤油に唐辛子、或は生姜の組合せで、おかずになりお摘みにもなる。すりやあ当り前だと云はれてはこまるので、甘いと塩つぱい、甘いと渋いだとかうはゆかない。甘いと酸つぱいが近しい組合せ(たとへば酢豚)だらうか。昨今のケチャップを多用した酢豚は感心しないが、それはまた別の話。

 多少は馴染んだ呑み屋の品書きに、甘辛ホルモンとあつたから、見逃すのは如何かと註文した。臓物をホルモンと呼ぶのは関西ことばだと思ふ。放るモン…即ち棄てる部位の転訛とも云はれるが、嘘でなければ勘違ひである。"放る"は"投げる"に意味が近く、"棄てる"意なら"放かす"になる。為念。

 甘辛ホルモンに戻ると、小鉢の冷製。辛味噌を基に甘みを調へたのだと思ふ。ぱつと見より軟かい。彩りに散らした白胡麻が、案外と効果的なのも宜しい。などと云つたら、きつと素材の鮮度や味はひを云々するひとが出る筈で、併し調味の工夫が甘辛の樂みと思へば、然程に重い指摘とは云ひにくい。細かい不満はあるけれど(たとへば韮をあしらつてゐたら、もつと好もしかつた)、かういふ甘辛な小鉢を用意する呑み屋は、もつとあつていいと思ふ。