閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

395 常に家に

 中華料理と云へば最初にたつぷりの油を使つて強い火で一ぺんに炒めあげる様が浮ぶ。事實は兎も角さういふ印象があるのだから仕方がない。たとへば烏賊。たとへば青梗菜。或は筍。確かにずわつと火を通すのがうまい。だけでなくかれらは我われが炒めないだらうと思ふものも平気で炒めて、然もそれがうまい。ひとつの材料に対して種々の調理法があるのは詰りその材料の平均点が高いとは云へないからで、たれが書いたのか忘れたが

 「フランス人が蝸牛を喰ふのは、それしか食べるものが見つからなかつたからで、さうである以上は工夫を欠かすわけにはゆかなかつた」

といふ指摘はきつと正しい。中華料理が呆れるくらゐの広さと深さを誇るのも同じ理由からではなからうか。勿論それは惡い事ではなく、その結果が我われを歓ばして呉れるのだから寧ろ感謝を捧げなくてはならない。

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 そこで画像をご覧頂きたい。食べさしなのは食べて驚いてから冩眞を撮つたからご容赦を願ふ。いい加減醉つてゐたので記憶が曖昧なのだが、"家常豆腐"とかそんな名前だつたと思ふ。某夜に某所の臺北料理の呑み屋で食べた。品書きで目に入つたのは豆腐の文字で、併しどんな料理なのだか見当がつかない。そこで女将さん(臺北人である)に

 「あれ(と品書きを指差して)は何ですか」

と訊いた。どうも唐突だつたらしくて女将さんが言葉に詰つたところに、お客の女性(發音から臺灣人だと思はれた)が

 「豆腐の餡掛けみたいな料理ですよ」

と教へて呉れた。成る程餡掛けならきつと旨いし豆腐を用ゐるんだから、塩風味のあつさりした仕立てにちがひないと思つたから註文した。中華鍋を熱くして油を敷き、ざくざく切つた豆腐をはふり込むと、花やかに爆ぜる音がして、その音だけでもう旨さうだつた。尤も女将さんは鍋を大きく振らない。以前にその事を訊ねた時

 「家庭料理ですからね」

そんな派手な眞似はしなくたつていいんですよと云つたのを思ひ出した。我ながら記憶力がいいなあと思つてゐたら、ここで改めて画像をご覧頂きたい、塩風味のあつさり仕立てとは全然ちがふ一品が出てきたから、おおとか何とか変な聲を出して仕舞つた(臺灣嬢が高い笑ひ聲を立てたのは云ふまでもない)それで食べてみると先づ熱い。熱いけれどくどくはなく…餡掛けといふのは甘酢で詰り淡泊な酢豚のやうな味はひ。表面を上手に焦がして(さう云へば中華鍋に入れる時は蓋をしながらだつた)工夫だなあと感心した。豆腐を愛する我われなのに、その食べ方は冷や奴か湯豆腐でなければ厚揚げが精々で、沖縄にちやんぷるー(但し用ゐるのは堅い島豆腐)といふ例外はあるが、あれは大陸渡りの調理法(の応用)ではないかと思はれる。崎陽の卓袱料理ではどうだらう。

 勿論料り方についてをその場で考へたのではなく、兎にも角にも熱くてくどくない、酢豚のやうな味はひの豆腐を食べると實にうまい。醉つてゐたくせにと云はれたらその通りだが、醉つてゐて旨いと感じたのだから確かにうまかつたと考へる事も出來るし、さう考へる方が呑み助の態度…気分に適ふ。それで外の豆腐料理を食べたかと云ふと残念ながらすつかり満腹した。この臺北呑み屋の食べものは大抵が旨いのに二十一時を過ぎないと暖簾を出さない。