閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

942 鰻だけに

 夏と鰻が結びついたのは、土用の丑には鰻召しませ(喰ふべしだつたかも知れない)とか何とか、宣伝の結果らしい。おほむね十八世紀頃の江戸の話。当時、夏の土用丑に"う"のつくもの(たとへば瓜や梅干し)を食べるならはしがあつたさうだから、鰻屋が割り込まうとしたのか知ら。

 

 美食家だか食通だかに云はせると、夏の鰻は痩せてゐて、それほど旨くないさうだが、奈良の時代には既に、暑い季節の鰻は滋養強壮に効果があると思はれてゐた。大伴家持が、夏痩せした同僚を相手に、鰻でも食べなさいなと揶揄つた戯れ歌がある。和歌が藝術に成り下がる前の話。

 

 痩せてゐるか、肥つてゐるかは別として、併し鰻はうまいのだらうか。千年余り、食べ續けられてゐるんだから、まづい筈はないにしても、それ自体より、味つけ…調味料の土台としての役割が大きさうに思へる。その点で鰻は、蛸と同じとグループに属してゐると云ひたくなる。

 

 生物のグループに目を向けると、鰻の遠縁の親戚には穴子がゐる。海鰻の字をあてるともいふ。成る程、海の魚だからだな。価格は廉だけれど、調理によつては鰻を凌ぐと思ふ。家持の頃、殿上人の食卓に穴子はなかつたのだらうか。穴子とりめせでは、恰好が調はないけれど。

 

 ところで鰻の料理は、蒲焼くらゐしか浮ばない。うまきやうざくがあると云はれても、蒲焼の細切りや短冊を使つてゐるでせう。諸々を試した結果、蒲焼が最良且つ殆ど唯一の調理法になつたのか。鮭や鯖や鰯とはちがふなあ…と書いてから、白焼があると思ひ出した。山葵と醤油でやつつけるらしいが、試したことはない。蒲焼が出來上るのを、この白焼や御新香で一ぱい呑りながら待つさうだから、悠々然々としたものだ。せつかちな町奴衆ではなく、旦那聯(それも上方ではなく江戸)の粋といふ感じはされる。旦那聯との附合ひはないから、本当かの保證は出來ないけれど、白焼やおかうこで一合二合のお酒をやつつけ、鰻に取り掛かれるなら、夏の疲労回復だつて六つかしくない。

 

 鰻だけに、話がぬるぬる滑つて仕舞つた。