閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

443 オスカー小父さんの誤算

 135判のフォーマットでは50ミリの焦点距離を標準レンズと呼ぶ。ではその標準レンズとは何ぞやと、(辞書的な)定義を知りたくなるのは人情であらう。結論を先に云ふと、明確な定義は無い。"何に対しての標準"なのかが曖昧なのだから当り前である。身も蓋もなく云へば、ライカ…より正確にはオスカー・パルナックが、後にライカと名づけられるカメラの試作で、偶々50ミリ(ツァイスのテッサーと讀んだ記憶があるが、本当か知ら)を採用したのが切つ掛けらしい。要するに偶然、でなければオスカー小父さんの気紛れ。

 いや気紛れと決めつけるには早い。135判フォーマットを半分にすると16ミリ映画用フォーマットになる。このフォーマットでは1インチ…大体2センチメートル半…が基準のレンズだつたらしい。 我らのオスカー小父さんがカメラを作らうと考へたそもそもの動機、目的は判然としないが、数ある説のひとつに、映画撮影前の露光確認がある。当時のフヰルムは低品質…ばらつきが多かつたから、事前に確めておかうといふのですな。そこで映画用カメラと同じ焦点距離のレンズを採用した。成る程なあ。では映画用カメラで1インチが基準になつたのは何故か…までは判らない。扱ひ易く作り易い画角といふ條件で収斂したのか。

 ところでライカの登場後、50ミリが理由の曖昧なまま、なし崩しに基準的なレンズの坐についたのは面白い。ライツ社がアナスチグマット、エルマックス、エルマー、ヘクトールと50ミリを固着した機種(俗に云ふA型)を出したからと考へてもいいが、当時のライカにそんな影響力があつたのか知ら。もつと簡単に、ライカのやうなカメラはライカ以前には無かつたから、ライカの後に出たライカのやうなカメラは、ライカが採つた方針をひとまづ眞似ただけ(アクセサリ・シューもそのひとつ)と考へる方が自然に思はれる。

 現代の目で結果を見ると、惡い撰択ではなかつた。50ミリといふ画角は、主観の問題を横に置くと、対象…被冩体をやや注視するくらゐの感じ…詰り"眺める"と"見る"の中間…に近い。さういふ感じがする。この"やや"のお蔭で、解釈の余地が様々に残る。或は拡大出來る。技術の話は流したいが、被冩体との距離の取り方次第で望遠風にも広角風にも使へる点は、改めて指摘する必要がある。その辺りを我がオスカー小父さんは経験的に知つてゐた筈だし、ライカを追ひ掛けたカメラがそれを追認したと想像しても無理は少いと思へ、そこからごく粗つぽく、135判で50ミリが標準…基準扱ひになつたのは、ある程度の経験に裏打ちはされてゐても、結果的な、偶然の賜物だつたと云つていい。

 別の焦点距離を撰ぶ会社は無かつたかと思ふと、ローライ35があつた。テッサーだつたかの40ミリの固定。ただこれはライカと追随したカメラ群への対抗ではなかつた。断定するのは、このカメラが目測式だからで、理窟を細かくは云はないが、ピントを外しにくくするのが目的と考へていい。以降に出たEEカメラ…Electric Eyeの略で自動露光の意。若い讀者諸嬢諸氏は知らないだらう、えへん…が大体この辺りの焦点距離を採用したのは、50ミリよりやや広い画角が、撮る時のルーズさと厳密の双方を担保出來る事を、ローライから教はつたからではなからうか。

 實際のところ…訂正、正直なところ、50ミリは使ひ易い画角ではない。注視するならもう少し狭い方…55ミリとか60ミリ…が扱ひは樂だし、大掴みに掴むなら35ミリから28ミリくらゐの広角が好もしい。前段で望遠風にも広角風にも使へるとは書いたが、そこには望遠風にも広角風にも使へるだけの技術、テクニックを持つてゐれば、といふ括弧書きが隠されてゐる。少くない眞面目なヴェテランが

 「結局は50ミリ近辺のレンズに戻る」

と云ふのは、ズーム・レンズの利便や画角の極端に頼らなくてもいい辺りまで、そのテクニックを昇華させた結果だと思はれる。カメラの試作をしてゐたオスカー小父さんは、果してそこまで見越してゐたか知ら。

 併し不眞面目な素人(わたしの事である)でも、50ミリは慾しい。わたし個人の"標準"レンズは今のところ、28ミリに落ち着いてゐるが

・極端な大口径でない限り小振りで

・相応に近寄つて撮れ

・明るさに種類があり

・多くの場合は廉でもある

條件をすべて満たすのは50ミリであつて、28ミリや35ミリはそこが些か弱い。さう考へると以前のニッコールは凄みがあつたなあ。

 もうひとつ云ふと、50ミリ附きのカメラは恰好が宜しい。たとへばニコンNewFM2ニッコールコンタックスRTSプラナー。どれを取つても、他のレンズに較べて姿の収まりがいい上、基本中の基本を蔑ろにしてゐない雰囲気もある。かう書くと我が親愛なる讀者諸嬢諸氏からは

 「すりやあニコンコンタックスなんだもの。きつとさうだらうさ」

と云はれさうでもあるが、FM10といふニコン銘の安カメラにシリーズE(これもニコン銘の安レンズ)の50ミリを附けても中々様になつたし、手持ちで云へばリコーのXR-8にペンタックスの50ミリ…Kマウント愛好家の為に云ひ添へると、レンズはSMC-M50ミリF1.7で、ペンタックス銘のスカイライト・フヰルタとタクマー55ミリ用のフードを附けてある…も締まつた感じがする。"感じがする"とは如何にも抽象的だけれど、カメラといふ物体は手に持つて恰好いいと思へるのが大切である。50ミリが"標準"レンズになつたのは結果であつても、"さうなつ(て仕舞つ)た"ところからカメラ全体の基本的なスタイルが出來たのだから、当然の話とも云へる。

 ここで我われ…いやわたしは、50ミリをデファクト・スタンダードに仕立てた筈のライカに似合ふのは、寧ろ35ミリである事を不思議に思ふ。たとへばライカⅢcにはズマリット50ミリよりズマロン35ミリ(わたしが云ふのはF3.5の初期型)の方が収まりがよい。

 「それくらゐの広角でライカは本領を発揮するんだ」

といふ意見は理解出來るが、それは後世の我われだから云へる事である。嘘だと思ふならライカ史をざつと見渡すと、實にM3に到るまで、ライツ社は50ミリのファインダを頑なに基本とし續けたと判る。ここはゲルマンの頑固さと手を拍つとして、50ミリは一眼レフの方が似合ふのも事實である。この辺はまことに主観的な見立てなので、異論が出るのは止む事を得ない。併しかういふ嗜好の変化は、親愛なるオスカー小父さんにも誤算だつたらうなと想像はしたくなる。