閑文字手帖

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977 感想文~ウルトラマンブレーザーの前半を観て

 先に云ふとこの稿は、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏も毎週、『ウルトラマンブレーザー』を樂みに観てゐる、といふ前提で書いてある。さうではないひとにとつては、とても詰らない筈なので、念を押しておきますよ。

 

 ここで取り上げるのは前半の十二回。

 各話のタイトルを以下に挙げる。

 

第一話 ファースト・ウェイブ

第二話 SKaRDを作った男

第三話 その名はアースガロン

第四話 エミ、かく戦えり

第五話 山が吠える

第六話 侵略のオーロラ

第七話 虹が出た 前編

第八話 虹が出た 後編

第九話 オトノホシ

第十話 親と子

第十一話 エスケープ

第十二話 いくぞブレーザー

 

 大きく云ふと、"導入部"の第一話から第三話、"各隊員の展開部"である第四話から第八話、番外篇の趣が濃い第九話を経て、第十話から第十二話の緩かな三部が、ひとつの区切りと、後半への"導入部"を兼ねた構成。

 前作の『ウルトラマンデッカー』や、前々作の『ウルトラマントリガー』と異なるのは、"倒さねばならない敵"が、ここまでは明確に描冩されてゐないことで

 「では。ここから、どう進めて、散りばめた伏線を、どんな風に回収して、どう纏めてゆくのか」

といふ点がたいへん興味深い。但しこれは、良くも惡くも、大人になつてしまつた視聴者(私のことだ)の見方で、本來の視聴者である子供たちが、複雑な筋立て(たとへば宇宙怪獸バザンガとゲバルガの名附け…『ウルトラQ』のバルンガと関係があるのか知ら)を、どう感じてゐるのか、疑念…不安は残る。余計な嘴だらうけれど。

 

 疑念や不安は横に、私にとつて、『ウルトラマンブレーザー』の十二回は、實に面白く感じられた。尤も各話に就て、細々語るのは、野暮な態度だし、眞面目なファンが丹念に書きもするだらう。ここでは擦れつからしの男の目に、何が面白かつたのか、断片的に書いてゆく。

 併し第一話は特筆したい。宇宙怪獸が大暴れする夜の池袋に、主人公と、かれが率ゐる特殊部隊が降下する場面から、話が始まる。"ああ、さういふ世界なのね"と、納得させる強さがあつた。同じ田口清隆監督の手になる、『ウルトラマンZ』の第一話の演出を、リアリズム風の方向に突き詰めたやうにも思へたが、ここは勘違ひかも知れない。更に云へばこの第一話は、全篇を夜で押し通し、オープニングもエンディングも省いたのが凄い。上案配の"怪獸退治のショート・ムービー"と呼べる出來であつて…要するに最初の卅分で私は、いともあつさり、心を掴まれたことになる。

 そこからの第二話、第三話で、SKaRDといふチームの成り立ち、主人公に関はる人びと、恰好いいロボットの登場が描かれ…各話のタイトルがまた、象徴的でもある…、物語世界の概要が我われに呈示される。ことに第三話のアースガロン發進場面は、旧いウルトラマンのファンを喜ばせるのに十分な"解つてゐる"感がたつぷり詰め込まれてゐた。

 第四話はウルトラマンのシリーズだと珍しい、スパイ・アクション、第五話はウルトラマンらしい民話的な筋立て、第六話はウルトラセブン風の侵略劇(實際、登場したのはセブンに出たカナン星人)と、単發的に趣向を変へ、エミ、アンリ、ヤスノブとSKaRD隊員にスポットを当ててもゐる。ここでは第四話で、エミを演じる撞宮姫奈さんの見せたアクションが、素晴らしかつたと附け加へておく。

 續くのは、怪獸映画と呼びたくもなる第七話と第八話。この前後篇に登場するニジカガチは、怪獸といふより、自然の一部が具現化したやうな存在で、初戰ではブレーザーに躊躇なく撤退を撰ばせた。ニジカガチの放つ虹光線は、山塊を一気に貫通する破壊力だから(その場面は『シン・ウルトラマン』冒頭のスペシウム光線聯想させた)、判断は正しかつたが…追ひ詰められたSKaRDや如何に。後篇では、危機と(些か強引な)克服、そして微かな救ひを描き…詰り我われは、満足させられる。第二話から第六話で既に明かだつた、"ドラマをじつくりと見せる"方針が、誤りではなかつたと證明したわけで、それは第九話で更にはつきりと示される。

 『ウルトラマンブレーザー』前半十二話中、最も異色と思へる第九話は、『ウルトラQ』と音樂への敬意が、鮮やかに表されてゐた。序盤に細かく(TVだから仕方がない)コマーシャルを入れ、後半をほぼ一気に繋げるといふ演出をやつてのけた。東儀秀樹さんをゲストに迎へ(後で知つたのだが、親子共演だつた)、かれ…かれの率ゐる樂團の演奏…『ウルトラQ』の主題曲で幕を開けたのは、云ふまでもないでせう…を、BGMであり、叉ガラモンを操る電波ともしたのは、實に贅沢な發想であつた。

 第十話から第十二話にかけては、前述のとほり、緩かな三部作になつてゐる。主人公であり、SKaRDの一員であり、夫であり父でもある家庭人、ゲント隊長と、"あの得体の知れない巨人(ハルノ参謀長曰く)"であるウルトラマンブレーザーとの、擦れちがひと(ある種の)和解が、第七話第八話で暗示された"怪獸と生命"を軸に進む。見方によつてはおそろしく陰鬱な展開であつた。

 併しそれは第十二話の半ば辺りから、大きく変化する。第五話でちらりと姿を見せた、開發部の隊員や、第一話で登場した、(当時の)ゲント隊長の部下が次々と姿を見せ、危機に際して"俺が行く"と云ひ續けた隊長に対して、エミ隊員が"行かない"と押し留め…防衛隊の総力戰に到る流れは見事だつたし、ゲント隊長が遂に、"いくぞ、ブレーザー"と決意を顕にした瞬間(この時の蕨野友也さんの表情が、まつたく素晴らしかつた)は、だからターニング・ポイントがきたと、映像だけで理解出來た。

 そのターニング・ポイントから、物語がどう広がり、収斂してゆくのか、私には判らない。どうやら見逃してゐるらしい細かな伏線は、様々にあつて(ことにエミ隊員の周辺)、考へることは色々あるのだけれど、所謂"考察"は避けておきたいと思ふ。叉聞きと念を押しつつ云ふと、夷齋石川淳は、騙されるのが、物語を樂むこつと喝破したさうで、『ウルトラマンブレーザー』も、さうした態度で臨むのが、一ばん望ましいのではなからうか。

 とは云へ、最後に矢張りこれだけは強調しておきたい。即ちブレーザーを演じる岩田栄慶さんのことで、このひとはブレーザースーツアクターだけでなく、その聲も演じてをられる。私の記憶なんぞ、いい加減極まりないが、ウルトラマンのアクターが、その聲まで演じる例は、過去に無いのではないか。あの獨特の仕草とアクションと何より、"ルゥオ(ワ)アアアイ"といふ咆哮は、ゲント隊長の"俺が行く"と並んで、『ウルトラマンブレーザー』を象徴してゐると断じたいし、きつとその叫びが、後半の鍵になると、私は信じてゐる。