お午に少し早い時刻に家を出た。
旧いふるい友人エヌと游ぶのが目的である。
"旧いふるい"は譬喩ではない。
四十年余のつきあひなのだから、さう称しても咜られはしないでせう。
顔を見るのは二年振りになる。この二年は、廿台卅台の二年と、余命の一点で重さがちがふ。我がわかい讀者諸嬢諸氏よ、心しておきたまへ。
最初に互ひの親や家族が、令和五年を健勝に過したことを確めあひ、互ひに喜んだ。それから
「なンぞあつたら、かうして顔は見とらンわな」
と笑つた。年寄りくさひと思はれるだらうが、年寄りなのは本当だもの、仕方がない。
梅田に出た。實はこの数年、梅田を歩いてゐない。再開發だか何だか、町の風景が激変し、歩くのが怖くなつてゐる。エヌなら詳しからう…と考へるのは誤りで、かれは播州の山奥に赴任中である。人混みを目にして
「醉ひさうな気イがする」
さうぼやいた。我われが色々と理由を附けて梅田に行つたのは、中學生の頃だつた。五百円札(といふ紙幣が過去、あつたのですよ)一枚を持ち、うろうろして、きつね饂飩(三百円くらゐだつたな)を平らげて帰つた。それだけの休日が、えらく充實してゐたのは、幼さゆゑだつた所為か。
エヌと私にはカメラ趣味が共通する。なので、カメラ屋を冷かした。細々したパーツやアクセサリを除くと、格別に慾しいものは無い。尤も棚の一角に、GRデジタル(初代機)と、関連するアクセサリ類が纏めて賣つてあるのを見て、テレ・コンヴァータだけ、頒けてもらへまいかとは思つた。手元のGRデジタルⅡ関連で、ほぼ唯一、慾しいのだが、我が儘は云ふまい。気長に縁を待つことにする。
暫く歩いてから珈琲ショップに入り、サンドウィッチを摘んだ。話に實が伴はないのは勿論である。年の瀬の休暇に眞面目な顔なんぞ、してはゐられない。
「ほいでな」とエヌが云ふには「配置転換で、単身赴任が、終ることになつたンよ」
目出度いねえ、家族一同の生活に戻るわけだ。さう思つて續きを訊くと、転換の内示は師走に入つて出され、(書面上の)異動日は翌月月初、即ち正月元日であつて、形式としては、それまでに転居を済まさなくてはならないといふから、ンな阿房なと大笑ひになつた。
「せやから、舐めとンかてなつてな」
書面はそれでかまンから、實際は三月ちふことで、異動話を纏めたンよ。なーるほど。それはさうとして、貯めに貯めこんだ、プラモデルの山はどうする積りなのかねえ。
夕方早く。本題は酒席である。この数年は、天満の[てぃだ]に席を取ることが多い。エヌと私は、麦酒と蒸溜酒…ヰスキィや焼酎、泡盛…を好むのだが、双方を揃へた呑み屋は少く、その点[てぃだ]は恰好なんである。尤もこの日は、予約で一杯だと云はれた。
「すりやあ、残念」
ごねて入れる筈もない。諦めざるを得なかつた。ではどうするか。梅田方面に戻ると、[ニューミュンヘン]がある。蒸溜酒は兎も角、麦酒とお摘みが旨いのは知つてゐる。行つてみたら、十組の待ちだつた。梅田には暇を持て余す呑み助が、少からずゐるらしい。
も少し歩いて、[ケラー]を覗くと、幸ひ空きがあつた。ここもまた、麦酒とお摘みに間違ひはない。卓を取つたところに、お店のお嬢さんが
「最初の一杯、どうされますか」
品書きを見ると、カニサラダとあつたから
「カニサラダは呑めンですよね」
「ちよつと無理やと思ひますよ」
その通りである。麦酒を註文した。エヌもまた麦酒。カニサラダを忘れなかつたのは無論である。
ソーセイジ。
ゲソの天麩羅。
卓上が狭いので、まづはこの辺りから。いづれも實にうまい。常聯さんと思しきお客が散らちら入つてきて、賑々しくもなり…詰りよい気分である。卓に灰皿がある。煙草を吹かせるのは文化的と云ふべきで、矢張りよい気分である。
鯛のカルパッチョ。
厚切りベーコンを焼いたの。
ここで更に、エヌが追加した、ぱりぱりポテトが秀逸だつた。身も蓋もなく云へば、やや厚めに切つた馬鈴薯を揚げただけなんだが、火の通し方と味つけに工夫があるのだらう、歯触りがよく、麦酒に似合ひの一皿であつた。
「喰ひ尽してから云ふのも、なンやけど」
「ジャーマンポストは、いらんやツたかも知れンな」
意見の一致をみた。ひよつとすると次の酒席も、[ケラー]を撰ぶことになるかも知れない。さうかうしてゐると、店内が繁くなつてきた。お腹はふくれ、麦酒の醉ひも快い。引き際の合図であらう。御馳走さまを云ひ、感情を済ませた。エヌはこの夜、私の家に近い實家に泊るといふから、途中まで帰路を共にした。
「次の一年を無事に生き延びて、叉呑まうず」
さう云ひあつた。異動に伴ふプラモデルの整理、ご苦労さまになるなと云つたら
「いやなことを思ひ出させるモンやない」
苦笑を浮べてゐた。