閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1015 年末と年始の予定の内と外(前)

 お午に少し早い時刻に家を出た。

 旧いふるい友人エヌと游ぶのが目的である。

 "旧いふるい"は譬喩ではない。

 四十年余のつきあひなのだから、さう称しても咜られはしないでせう。

 顔を見るのは二年振りになる。この二年は、廿台卅台の二年と、余命の一点で重さがちがふ。我がわかい讀者諸嬢諸氏よ、心しておきたまへ。

 最初に互ひの親や家族が、令和五年を健勝に過したことを確めあひ、互ひに喜んだ。それから

 「なンぞあつたら、かうして顔は見とらンわな」

と笑つた。年寄りくさひと思はれるだらうが、年寄りなのは本当だもの、仕方がない。

 梅田に出た。實はこの数年、梅田を歩いてゐない。再開發だか何だか、町の風景が激変し、歩くのが怖くなつてゐる。エヌなら詳しからう…と考へるのは誤りで、かれは播州の山奥に赴任中である。人混みを目にして

 「醉ひさうな気イがする」

さうぼやいた。我われが色々と理由を附けて梅田に行つたのは、中學生の頃だつた。五百円札(といふ紙幣が過去、あつたのですよ)一枚を持ち、うろうろして、きつね饂飩(三百円くらゐだつたな)を平らげて帰つた。それだけの休日が、えらく充實してゐたのは、幼さゆゑだつた所為か。

 エヌと私にはカメラ趣味が共通する。なので、カメラ屋を冷かした。細々したパーツやアクセサリを除くと、格別に慾しいものは無い。尤も棚の一角に、GRデジタル(初代機)と、関連するアクセサリ類が纏めて賣つてあるのを見て、テレ・コンヴァータだけ、頒けてもらへまいかとは思つた。手元のGRデジタルⅡ関連で、ほぼ唯一、慾しいのだが、我が儘は云ふまい。気長に縁を待つことにする。

 暫く歩いてから珈琲ショップに入り、サンドウィッチを摘んだ。話に實が伴はないのは勿論である。年の瀬の休暇に眞面目な顔なんぞ、してはゐられない。

 「ほいでな」とエヌが云ふには「配置転換で、単身赴任が、終ることになつたンよ」

 目出度いねえ、家族一同の生活に戻るわけだ。さう思つて續きを訊くと、転換の内示は師走に入つて出され、(書面上の)異動日は翌月月初、即ち正月元日であつて、形式としては、それまでに転居を済まさなくてはならないといふから、ンな阿房なと大笑ひになつた。

 「せやから、舐めとンかてなつてな」

書面はそれでかまンから、實際は三月ちふことで、異動話を纏めたンよ。なーるほど。それはさうとして、貯めに貯めこんだ、プラモデルの山はどうする積りなのかねえ。

 夕方早く。本題は酒席である。この数年は、天満の[てぃだ]に席を取ることが多い。エヌと私は、麦酒と蒸溜酒…ヰスキィや焼酎、泡盛…を好むのだが、双方を揃へた呑み屋は少く、その点[てぃだ]は恰好なんである。尤もこの日は、予約で一杯だと云はれた。

 「すりやあ、残念」

ごねて入れる筈もない。諦めざるを得なかつた。ではどうするか。梅田方面に戻ると、[ニューミュンヘン]がある。蒸溜酒は兎も角、麦酒とお摘みが旨いのは知つてゐる。行つてみたら、十組の待ちだつた。梅田には暇を持て余す呑み助が、少からずゐるらしい。

 も少し歩いて、[ケラー]を覗くと、幸ひ空きがあつた。ここもまた、麦酒とお摘みに間違ひはない。卓を取つたところに、お店のお嬢さんが

 「最初の一杯、どうされますか」

品書きを見ると、カニサラダとあつたから

 「カニサラダは呑めンですよね」

 「ちよつと無理やと思ひますよ」

その通りである。麦酒を註文した。エヌもまた麦酒。カニサラダを忘れなかつたのは無論である。

 ソーセイジ。

 ゲソの天麩羅。

 ジャーマンポテト

 卓上が狭いので、まづはこの辺りから。いづれも實にうまい。常聯さんと思しきお客が散らちら入つてきて、賑々しくもなり…詰りよい気分である。卓に灰皿がある。煙草を吹かせるのは文化的と云ふべきで、矢張りよい気分である。

 鯛のカルパッチョ

 厚切りベーコンを焼いたの。

 ここで更に、エヌが追加した、ぱりぱりポテトが秀逸だつた。身も蓋もなく云へば、やや厚めに切つた馬鈴薯を揚げただけなんだが、火の通し方と味つけに工夫があるのだらう、歯触りがよく、麦酒に似合ひの一皿であつた。

 「喰ひ尽してから云ふのも、なンやけど」

 「ジャーマンポストは、いらんやツたかも知れンな」

意見の一致をみた。ひよつとすると次の酒席も、[ケラー]を撰ぶことになるかも知れない。さうかうしてゐると、店内が繁くなつてきた。お腹はふくれ、麦酒の醉ひも快い。引き際の合図であらう。御馳走さまを云ひ、感情を済ませた。エヌはこの夜、私の家に近い實家に泊るといふから、途中まで帰路を共にした。

 「次の一年を無事に生き延びて、叉呑まうず」

さう云ひあつた。異動に伴ふプラモデルの整理、ご苦労さまになるなと云つたら

 「いやなことを思ひ出させるモンやない」

苦笑を浮べてゐた。