閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1016 年末と年始の予定の内と外(後)

 令和六年の三ヶ日。

 正月元日。

 予定通りの朝は薄く晴れ、御佛壇に挨拶をし、二親と共にお目出度うを云ふ。御屠蘇の代りは藝州賀茂鶴の純米。口当りがかろくて中々宜しい。御節…お重につめるやうな…は要らないことになつてゐて、田作りや蒲鉾、八幡巻きを摘む。御澄しにお餅を三つ(佛壇のお下りも含めて)も食べたから、おなかが随分くちくなつた。

 午前中はこれも例年通り、實業團の驛傳を観る。この手の中継に限れば、テレビジョンにも値うちが残つてゐる。中のひとは気づかない(でなければ、気づかないふりを續ける)んだらうなあとも思ふ。

 西上して聯日、母親について、買ひものの荷物持ちをしてゐたが、けふ明日は近所のマーケットが休みだから、荷物持ちもお休みである。お晝にはサッポロのラガー罐とおでん、賀茂鶴も少し呑んだ。母親が、年末に贖つた筈の棒鱈が見当らないと云ひ出して、大笑ひする。

 午后四時過ぎ、いきなり地震があつて一驚を喫する。尤も地震はいきなり發生するから、いきなりの地震とは、をかしな云ひ方である。東都で小さな揺れはお馴染みとして、揺れが長く續き、阪神淡路や東北の大地震聯想した。サッカーの中継を点けたままにしてゐたテレビジョンが、災害情報と云ふのか番組が変り、震源地は石川県、震度が七と判る。更に津波まで起きたらしく

 「直ぐ高い場所へ逃げてください」

 「周囲のひとに津波が來ると傳へてください」

とアナウンサー(なのだと思ふ)が繰返すのはいいが、意図的か慌ててか、聲が酷くヒステリックに感じられ…暫く聞く内に何だか可笑しくなつてきた。

 正月二日。

 矢張り例年通りに箱根驛傳の往路を観る。箱根の山道に鈴なりの見物客がゐて、あんな狭い路によくもまあ、足を運ぶ気になるなと思ふ。お晝にはやうやく見つかつた棒鱈と、行者大蒜と大根のお漬けもの。後者は壜詰生姜(辛くてうまくて、お豆腐に似合ふ)を買つた際に、おまけに附いてゐたさうで、摘むと中々に宜しい。

 ニューナンブの面々に御年賀のメールを送る。令和六年こそ、酒席を囲む機會を持たねばならぬ。それから呑み仲間の女性にも、新年の挨拶メールを送り、あはせてデートの約束を取りつける。

 (デートと云つたつて、どうせ丸太だもの、酒席の約束と変るまい)

と思つた讀者諸嬢諸氏はすすどい。併し酒席の約束を、デート呼ばはりしてはならないわけでもあるまいから、ここではデートと強弁しておく。

 煙草を買ひに出掛けたら、長年お世話になつてゐる理髪店の隣にある呑み屋兼カラオケ屋が、営業を始めてゐる。貼り紙を見るに、"お正月料金を頂戴します"とあるが、既に醉客の唄聲(あまり上手ではない。御屠蘇の呑みすぎだらう)が洩れてゐて、年明け早々、ご機嫌やねエと苦笑をひとつ。

 さうかうしてゐたら、垂れ流しのテレビジョンに、失敗つた花火のやうな映像が流れた。何かと思つたら、羽田空港日航機が爆發したらしいと判る。よくよく聞くと、前日の地震に対応する物資の運搬目的で用意された、海上保安庁の飛行機にぶつかつたとかで、えらいことになつてゐる。

 正月三日。

 先づは箱根驛傳の復路から。往路は最後にドラマチックな山登りがあるけれど、こつちは都市に戻る路すぢなので、観てゐる気分は今ひとつ、盛上りに欠ける。一所懸命にはしる子供には失礼なのだらう。

 朝は牛乳を入れたネスカフェアヲハタの苺ジャムを塗つたトースト、それからうで玉子。アヲハタを毎度、アヨハタと讀みちがふのは、私だけなのか知ら。さう云へば小學生の頃は、オレンジのママレード(給食で出たのだ)が苦手だつたなあと思ひ出し…聯想はとめどない。

 煙草を買ひにファミリーマートまで歩く。隣に"ネパール居酒屋"と銘打つ呑み屋がある。とは云へ"味自慢 焼き鳥"と書かれた幟がはためき、出してゐる品書きには、"焼き鳥各種百五十円から"とかあつて、ビリヤニだのナンだの、ネパールを聯想さす要素が丸で感じられない。この数年、店舗は見てゐるから、営業はしてゐるのだらうが、實際はどんなものか、試す必要がありさうに思はれる。

 それは兎も角、お晝は前夜の簡単な鍋もの(豆腐、豚肉、白菜と葱、えのき茸)のお出汁で炊いた雑炊。それに(何故だか)お惣菜の焼き餃子。キリンの一番搾りとあはせて平らげる。晩は同じく一番搾りにアルパカの赤で、関西スーパーのお惣菜とごはん。何もしないのに、酒精も食事もお味噌汁もお風呂も清潔な服も用意してもらへるのは、まことに有難く、幸せなのだと實感する。

 予定してあつたこと、予想してゐなかつたこと、諸々あれこれな年末と年始であつた。