閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

770 東下御用列車

 西上は游び。

 東下は所用。

 北上と南下を考へないのは、普段或は定期的に北上も南下もしないからである。東京を起点に北上南下したら、どこになるだらう。暇な夜の肴として考へることにする。

 

 「取つとらンのか」

と父親が云つたのは、御用新幹線の切符の話である。尤もな見立てなので、倅が

 「取つとらンよ」

さう応じたから、不思議に思つたらしい。インターネットを使へるらしい倅が、その便利を活用しないのは、理解に苦しむ…とでも云ひたさうな表情を見せた。ネットで切符を買ふには、決済にクレジット・カードが必要で

 「そのカードを、持つとらンからね。切符を取るンなら、大阪驛まで行かんならん」

(事實である。わたしのやうにしだらのない男がカードを持つたら、三ヶ月で破綻するだらう)

 「そらアしやあない話」

と納得顔になつた。

 

 皐月の七日土曜日の午后。天候腹候の具合で翌八日日曜日の午前の新幹線を使はうと決めて、念の為に確めたら、両日共に繁忙期なのでうんざりしたのは、ここだけの話である。

 まあ、仕方がない。

 ひとまづ土曜日の時刻表を見た。午后二時半から四時までの一時間半、且つ新大阪驛始發。調べた限り、のぞみ號が十本、ひかり號は一本ある。過密なダイヤグラムだなあと呟いて直ぐ、座席は取り易からうと思ひなほした。所用だからこだま號は考への外にある。いや併し所用呼ばはりは気に喰はない。この稿では以降、御用と呼ぶ。

 

 土曜日には午后三時十八分發のひかり號がある。わたし、叉はわたしたちの世代にとつて、東海道新幹線と云つたら、ひかり號である。東京驛には夕刻の着到。そのまま中央線快速で中野に出て、一ぱい呑めるのも具合がいい。

 (さうするか)

半ば決めかけ、ちよつと待てよと思つた。新幹線には喫煙室があるけれど、現在は諸々の事情で

 「御利用はひとりづつに願ひます」

規則になつてゐる。喫煙者であるわたしには、えらい迷惑である。喫煙室の前には、順番待ちの列が出來る。なので車内での煙草は諦めなくてはならない。その程度の我慢はかまはないにしても、ひとりづつの御利用が、通路の行列の原因なのは釈然としない。のぞみ號なら少しは、我慢の時間も減らせるが、その少しの分、新幹線の気分からは遠くなる。

 

 日曜日の、も少し早い時間帯に乗る方法もある。前回の東下はそれであつて、麦酒とサンドウィッチを摘む間に、東京驛に着いたのは、中々惡くなかつた。御用に似合ふのはこの場合、合理…速度に徹したのぞみ號であらう。一ぱい引つかけて帰宅出來ないのを残念と取るか(併し車内で罐麦酒の一本や二本、らくに平らげられる)、無駄遣ひをせずに済むとみるか、迷ふところではある。その迷ふのは、切符を事前に取つてゐないから生じる樂みと云つていい。

 

 晴れた。土曜日の大坂である。併し天気予報を確めると、東京は曇雨らしい。厭な気分になつたけれど、祖父に

 「天気の具合は、中曾根に文句を云へん」

と教はつたのを思ひ出した。当時の宰相が中曾根康弘であつた。凡そ無口な男だつた祖父が遺した、たつたひとつの"政治的な"言である。まあ、政治と不沈空母は措かう。

 それより気になるのは左目であつた。目尻の下に小さな腫れが出來た。俗に云ふ目ばちこだと思ふ。いや目ばちこは俗に使はれてゐるものか。医學的な呼称は麦粒腫といふから、俗称乃至方言なのは間違ひない。それはいい。何故こんな症状が出たのか、さつぱり判らない。驛前の眼科…中學生高校生の頃、随分お世話になつて、今は代替りしてゐる…に行かうかと思ひ、通院を求められては困るなあと思ひ直した。眼科に行くかどうかは、東下の後に考へたい。

 目ばちこ問題は片がついた。改めて新幹線はどうするかを考へて、日曜日に乗ることにした。天候が惡くなつても、宰相には文句を附けまい。第一現役の宰相には、天候をどうかうする器は持合せないと思へるが…宰相の話も措きませう。腥い話はどうにも性に合はない。

 

 晴れた。日曜日の大坂である。天気予報を見るに、東京の天候も惡くない。但し目ばちこの違和感は酷い。瞼を捲ると充血してゐる風に見える。珈琲を飲み、銅鑼焼きを食べてから、荷物をデイパックにはふり込む。どうも憂鬱だが、御用列車に乗らねばならないから、止む事を得ない。ニューズでは交通に混雑は見られないといふ。新幹線の指定席を取り損ねる心配はなからう。

 お晝前に素麺と炊き込みごはん、それから罐麦酒を一本、平らげて、正午過ぎに家を出た。途中に大坂の家が氏子になの神社(菅原道眞公を祀つてゐて、その由縁だらう、境内には梅の木がある)がある。挨拶をしてから、阪急電車の大阪梅田行きに乗る。南方驛で地下鐵の御堂筋線に乗継がうかと思つたが、矢張り大阪梅田驛まで出る。中古カメラ屋をちよいと冷かした後、無事にのぞみ號の指定席を取り、罐麦酒二本と小さなサンドウィッチをひと函買つて乗り込んだ。御用列車は定刻通りの發車である。

 録音してあつたラヂオ番組を聴きながら、早速麦酒を開けた…と云ふのは正しくない。京都驛までは我慢した。新大阪驛の時点で隣席にお客がをらず、乗つてきたらテイブルの片附けが面倒と予想出來たからで、予想にたがはず小父さんが乗つてきた。我ながら先見の明だなあ。

 ゆるゆる麦酒を呑みつつ、買物のことを考へた。この長い聯休の前に、食麺麭だの何だのは、傷むといけないから食べきつてゐる。併し帰宅してごはんを炊く気にはなれない。かと云つて纏めて買ふのは重くなる。マーケットが遠いのではないが、厭だなあと思ふ。買ふのは今夜と明日の朝の分、最小限に留めおかう。

 新大阪驛でどうもぼんやりしてゐたらしい。名古屋驛から乗つてきた妙齢の女性が慎ましいもの云ひで

 「すみませんが、そこ(わたしが坐つてゐる席)は、私の指定席だと思ふんです」

慌てて自分の切符を見ると四號車の五番。坐つてゐるのは四號車の四番。號車と番號をごちやにしたと思はれる。失礼を詫びつつ、大急ぎで席を移つた。耻づかしかつた。

 

 耻づかしがつてゐる間にも、我が御用列車は濱名湖を過ぎ(あの様は飽かず、わたしを喜ばせる。水のある景色に特別の感興を催すのは、先祖のたれかに安曇族でもゐたからだらうか)、小田原を過ぎた。二本あつた罐麦酒も、サンドウィッチもなくなつてゐる。矢張りのぞみ號は速い。といふより、わたしの時間が遅く流れてゐるのだらうと思ふ。以前にも触れたことを繰返すと、ある土地から別の土地へ移る時、距離と使ふ乗り物で、適切な(叉はさう感じられる)時間の経過は矢張りあるもので、新大阪東京間ののぞみ號は、その適切から著しく外れてゐると云はざるを得ない。迅速な移動に徹した御用列車なのだなと思ひながら、在來線に乗継いだ。残るのはちよつとした買物だけである。