田辺聖子さんのエセーで讀んだ川柳…だつたと思ふ。
だんだんと そんならの出る おもしろさ
記憶だからどこか、間違つてゐるかも知れないが、そこは気にせずに續けますよ。
川柳の讀み解きほど、詰らないこともない。だけれどこれだけでは、何を詠んでゐて、どこでにやにやするのか、よく解らないでせう。
男女の一句なんです。差しつ差されつ、指を取りあひ、掌をつつきあひながら
「そんなら、ウチがね」
「そんなら、ぼくがな」
口説いてゐるのやら、口説かれてゐるのやら、囁きあふ様の一筆書き。但しこれを、あの行為へ到る駆け引きと受けとつたら、直截に過ぎませう。こんなやり取りが出來るんだからね、共寝の時間が待つてゐるくらゐ、互ひに解つてもゐる。
さうだらう。
さうよね。
ぢやあ寝ませうか。
とは併し、ならない。そんな安直な態度では、夜の長さの愉みが減じて仕舞ふ。酸いと甘いを嚙み分けた同士だから成り立つ駆け引き…川柳と云つて、我がわかい讀者諸嬢諸氏は
「ぜんたい、何を云つてゐるんだらう」
きつと首を傾げるだらうなあ。わかくない私はその傍ら、かろく微笑むに留めたい。一応説明すると、かういふ艶つぽい詩は、その部分へ直に光をあてては、興が醒めるんです。ぼんやり曖昧だから、出來のいいお酒のやうに、ほんのり香りが立つてくる。田辺聖子さんは、その辺りがまことに巧みな書き手でした。