閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1030 敷居の向ふ

 きらひではないのに、積極的に食べもしない料理は何ですと聞かれたら、天麩羅と応じる。揚ゲタ食ツタでないと、うまくない。さういふ天麩羅を食べたければ、天麩羅屋にでも足を運ばざるを得ず…屋台賣りの廉な軽食を、御座敷料理まで昇華さしたのは、云ふまでもなく江戸人である。職人かたぎの(妙な)顕れと見立ててもかまふまい。

 

 ところで我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は、天麩羅の種に何を好まれるか知ら。矢張り海老が一ばん人気かと思ふが、私は海老に固執しない。例外は(早鮓の)甘海老くらゐか。海老天だつて、出されたら拒みはしないけれど、欣喜雀躍もせず…魚介なら寧ろ、鱚や穴子が喜ばしいと思ふ。他に嬉しい天種は何があるだらう。

 

 烏賊。

 大葉や海苔。

 或は獅子唐。

 春菊(但し蕎麦種に限る)

 茄子…は最近、旨いと思へるに到つた。

 隠元豆。

 掻き揚げも含めれば、牛蒡や枝豆。

 

 我ながら、年寄りじみた好みに思はれる。さう云へば随分と以前、牡蠣の天麩羅を食べて、えらく感心した。フライより余程うまかつたのは、こちらの好みに加へ、天つゆと大根おろしの効果かも知れない。まあ天麩羅はつゆと大根おろしで完成するから、後者には目を瞑つてもかまふまい。それに天つゆ大根おろしにあはすとすれば、天種はどうしたつて、若もの好みから離れてしまふ。

 

 こんなことを云つたら、当の若ものから、変り種で美味しい天麩羅もあるんだよ、と指摘されるかも知れず、またそれが美味しい可能性だつてあるけれど、私くらゐの年齢になると、ハイカラを試すのが億劫に感じられるんです。そんなら天麩羅屋より多少は敷居のひくからう蕎麦屋で、天ざると序でにお酒の一合もやつつける方が望ましい。蕎麦を御座敷に上げられるまで、洗練を重ねたのも叉、江戸人だつた。