閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1100 文月がやつてくる

 寒い季節は苦手だが、きらひではない。

 暑い季節は苦手だし、きらひでもある。

 

 その苦手できらひな季節は、文月葉月長月の三箇月といふ印象があつて、我が厳密な讀者諸嬢諸氏からはきつと、立夏から立秋までですよと云はれるだらうが、廿四節気は太陰太陽暦天保暦に基づいてゐるから…令和六年の立夏は皐月の五日、立秋は葉月の七日…、實感とのずれが甚だしい。

 尤も暑い季節は、冷奴と酢のものと素麺、冷し中華に梅干しが旨い。さう考へれば一概に拒むのは間違ひかなあと思へもするけれど、体にも頭にも苦手きらひが刷り込まれ、今さらそこをどうかうするのは、かなり六つかしい。人間、諦観を持つのも、時には有用といふことか。

 

 暑けりやあ麦酒がうまいことでせうと、我が讀者諸嬢諸氏は親切に微笑んでくれるだらうか。すりやあさうだ、と応じたい気持ちはある。あるんだが、どうも夏麦酒の旨さは、炭酸が喉を滑り落ちる快さに集約される。呑むのは勿論としても、夏こそ麦酒の季節と云ふのは躊躇はれる。大体が

 まづは食慾がぐんと落ち

 次に頭がまはらなくなり

 出無精にも拍車が掛かる

 のが、私にとつての暑い季節であり、その始りこそ、文月朔日なんである。厭だなあと思ふ。併し厭だなあと思つたところで、文月朔日は秋になりやしない。なのでせめて麦酒のジョッキに浮ぶ水滴を眺め、焼酎ハイのグラスで鳴る氷を聞き、お猪口に映る店の灯りを月に見立て、硝子のお皿や酒器を、ひいやりしてゐると喜べるくらゐの気分は持つておきたい。さうやつて暑い季節に涼しさをのぞむのが、日本文學の伝統ではないか。

 

 文月が、やつてくる。