閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1098 珈琲と塩と玉子

 題名も作者もすつぽり、抜け落ちてゐるから、勘違ひの可能性の方が高いのだが、ドイツの児童文學だつたと思ふ。寮に入つてゐる學生たちの話。主人公の友人が鋏で爪を切りつつ、主人公じしんが意識してゐなかつた恋心に就て、然り気無く触れる場面があつた…記憶がある。ドイツ人は爪切りを使はないのかと、訝しく思つた…記憶もある。

 

 同じ本で、珈琲に"慎重に塩を入れる"一節も讀んだ記憶があつて、珈琲には牛乳と砂糖だらうと信じてゐたから、えらく驚いた。いやさういふ記憶が残つてゐるだけで、その本があるのか、まつたく判らない。大体ドイツ人に、珈琲に塩を入れる習慣があるのか知ら。それともドイツは広いから、ある地域には、塩に適ふ珈琲があるのだらうか。

 

 その辺の謎は、いつかドイツの友人乃至愛人を得て、解消出來ればよしとして、話を珈琲の方面に絞る。先に念を押すと、私は莫迦ツ舌の持ち主だから、豆の産地だの、挽き方だの、香りや味はひのちがひが判るわけではない。毎日何杯か喫みはするけれど、粉末の即席珈琲で、偶さか喫茶店で含むと、うまいなあとは思ひはしても、それつきりである。珈琲に熱心な人びとには申し訳ないと云つておく。

 

 砂糖は使はない。牛乳はたまに入れる。罐やペットボトル入りでは、余程に疲労を感じない限りはブラックを撰ぶ。と書いてから、不意にその珈琲を喫しつつ、何を食べるだらうと気になつた。当り前に考へれば麺麭の類なのだが、この何年か、麺麭を嚙みながら珈琲を啜つた覚えがない。ビスケットやクッキーも同じくらゐ、思ひだせない。

 

 記憶の棚を引つ繰り返した。朝めしの代りに、牛乳入り珈琲で、うで玉子を食べたのを思ひだした。スクランブルド・エグスや目玉焼きでなく。固ゆでを、マヨネィーズで。珈琲に固うで玉子か、さう呆れる讀者諸嬢諸氏も、きつとをられるだらうが、(殻を剥く面倒は認めるとしても)決して惡くないのだ。更にここまで書いて、だつたらその固うで玉子を塩で食べれば、前段の疑念にひとつの解を得られるのではないかと思つた。ドイツ人は朝めしに、うで玉子を食べる習慣はないと云はれたら、それまでなのだけれど。