閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

106 天竺ふらり

 確か葡萄牙語源の記憶がある。

 天麩羅の話。

 tempêroと綴るのではなかつたか。

 外にも諸説があつて、冗談混りを含めて十以上は数へれらるから、端的に云つて、正確なところは判らないが、この稿では一般的と思はれる、葡萄牙説を採ることにする。

 ではそのtempêroがぜんたい、どんな食べものだつたのか、これもさつぱり判らない。

 葡萄牙の揚げものといふと、干し鱈を戻してほぐし、マッシュト・ポテトと一緒に揚げた鱈のコロッケくらゐしか思ひ浮ばず(イベリヤの葡萄酒に似合ひさうだ)、身近に葡萄牙人もゐないから、詳しいことも調べにくい、うーむ、残念だなあ。

 我が國で葡萄牙揚げの調理法が確立したのは、十六世紀から十七世紀にかけてで、それ以前からあつた倭國式の揚げものと合流したらしい。

  ここで我われは、我われのご先祖が、外ツ國から取り入れた料理…調理法を、次々に、平然と、改造してきたことを思ひ出したい。

 カットレットを改造したとんかつ。

 ビーフ・シチューを改造したと思しき肉じやが(アイリッシュ・シチュー説もあるが、大英帝國海軍がケルト料理を取り入れるか知ら)

 ナポリには存在しないのに、何故だか登場したナポリタン・スパゲッティ。

 ラーメンもさう、餃子もさう、カレー・ライスもさう、外にも挙げてゆけば切りがなく、我われが普段食べてゐるのは、もしかすると他國料理の改造品計りなのかと、勘違ひしかねない。

 我らが天麩羅にさういふ気配が薄いのは、とんかつや肉じやが、ナポリタン・スパゲッティに較べれば遥かに歴史があるからで、現代の天麩羅にはtempêroの面影は欠片も残つてゐないだらう…葡萄牙人がどう思ふかは別として、きつとそれが歴史なのだな。

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 併しtempêroから天麩羅に到る歴史の中で、麺ものに組合せるといふ發想がいつ頃、たれの頭に浮んだのか…少なくとも、油揚げ(きつね)や玉子(月見)、とろろ昆布(おぼろ)といつた種ものよりは新しいと思はれて、かういふ歴史を体系的に調べた研究はないのか知ら、あれば是非とも讀みたいのだけれど。

 いきなり乗せたのだらうか。

 それとも添へものだつたか。

 切つ掛けはどうあれ、かういふ莫迦げた組合せが、葡萄牙人の頭にあつたとは思へず、あの國にソップに入れる麺料理があるかどうかは知らないが、仮にあつたとして、鱈のコロッケを浮べてやれとは考へないに決つてゐる。

 さう考へると、この莫迦げた發想は、我が國の蕎麦屋だか饂飩屋の親仁に帰すべきではないかと思はれてきて、併し天麩羅の語源説には“天竺浪人がふらりと揚げた”といふのがあるから、どうも断定し辛くもあつて、葡萄牙人には恩誼を感じるのだけれど、天竺人だつて油断のならない連中だもの、あはてて結論を出すと、痛い目にあひかねない。