閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

394 豊太閤も及ぶまい

 お弁当と聞くとどうもわくわくする。特別な食事と感じられるからだらうと思ふ。特別な食事といふのは、家の中で食べないのとほぼ同じで、絢爛豪華とは意味がちがふ。とは云ふものの、絢爛豪華な食事より旨いかも知れない。いやそれは不正確な比較で、絢爛豪華な食事とは異なる味はひがあると云ふべきか。理窟を捏ねる前に、お弁当と聞いて、頬が緩むのを感じないひととは食卓や酒席を共にしたいとは思ひにくい。吉田健一の惡影響か知ら。

 併し何を指してお弁当と呼ぶかは六づかしい。たとへば“ごはんとおかずをひとつの函に詰めた簡便な食事。主として家庭外で食べる”のがお弁当だとすると(幾つかの辞書的な定義を大雑把に纏めるとこんな感じになる)、そんならごはんのおかずが別々のお重式やサンドウイッチとサラドはお弁当にならないのかと詰め寄られかねず、さうなると返答に詰る。詰つて仕舞ふ。かと云つて萬人が納得出來る“ザ・お弁当”は思ひつかず、仕方がない、はふり出したままにする。お弁当は考へるのでなく、食べるものである。

 イタリーやフランスやドイツ、スペインやポルトガルスウェーデンハンガリーやロシヤにお弁当の習慣があるのかどうか。家の外で食べる簡単な食事の用意はするだらうが、それを“お弁当といふ形式”にまで仕立てたかと云へば、何とも曖昧な気がされる。わたしがあちらのお金持ちか王公貴族だつたら、料理人を連れ竃を持ち出し、出掛けた先で食事を用意させる。労働者なら仕事が終るまで空腹を抑へられればいいやと思ふだらう。

 落ち着いて考へたらお弁当は異様な食べものである。ごはんは勿論、焼き鯖も小芋の煮ころがしも玉子焼きも、かき揚げもコロッケも白身魚のフライも鶏の唐揚げも冷たいんだもの。当り前の食卓に冷やめしと冷めきつた鯵の開き、葱と鶏肉を煮たのが並べられたらきつと憤慨する。なのにそれら…鯖でも鯵でも鮭でも、また諸々の煮物や各種の揚げものでも…が函の中に整然と詰められてあるのを見たら、きつと顔が綻ぶだらう事もまた確かで、ぜんたい何がちがふのか。

 弁当箱ですね。

 考へるまでもない。

 大昔は朴歯や笹の葉にくるんだ筈である。ヨーロッパ人なら羊の膓辺りだらうか。うんと遡つたところを想像すると、狩猟や漁撈、木の實なぞの収穫にあたつて運搬した食べものこそ、お弁当の原形だつたらう。乾し肉や塩漬けの魚、或は粟や稗はまつたく空腹を満たす為だけ…今で云へば罐詰のやうなもので、ここで云ふ空腹は狩人だけでなく、待つ側にも掛かつてゐる。かれらが獲物を抱へて戻らなければ餓ゑ死にするのだから。朴歯なり笹の葉なりにくるまれ、羊の腸なんぞに詰められた食べものが歓びや愉しみのイコンでなかつたのは想像に難くない。

 農業と牧畜、貯藏と長期保存。さういつた技術が成りたちまた成熟するにつれ、お弁当の原形は苦辛の象徴から当坐に便利なものへと変化した筈で、中國で便当といふ言葉が出來たのには、さういふ変遷(何千年掛かつたのか知ら)があつたのではないか。そこで我が國を振り返ると、ある時代までは確かに中國文明の猿眞似であつた。猿眞似は酷いと云ふならお手本だつたと云つてもいい。尤もそれはコピーではなく、倭人流儀のアレンジメントが強く施されて、たとへば儒教科挙を眞似なかつた、少くともうつすらとしか受容しなかつたのは我われにとつて幸ひだつたと思ふのだが、そちらの話に踏み込むと色々とアレだらうからこれ以上は触れない。

 何の話だつたかと云へばお弁当で、これは便当の倭國式アレンジメントであつた。外出時の簡易安直な食事…便当の原義はもつと広い意味合ひらしいのだが…が見栄か贅沢かそれとも殿上人好みゆゑか、遊興でなければ社交の道具になつたのではなからうか。地下人には当然、縁の無い食事だつた便当がおそらく激変したのは武士層の勃興…源平の抗争辺りからだらう。遠征が頻繁になつたから(何せその後、百年余りの戰乱もあつた事だし)といふのがさう考へる理由。絢爛豪華に無縁なのはそのまま、腹もちや保存、簡便に栄養といふ合理的な方面から整理されたにちがひない。

 では(肝腎の)弁当箱はいつ頃から、今に續く形を得たのか知ら。“面桶”や“破籠または破子”と呼ばれる曲げ物(前者が“メンツウ”、後者は“ワリゴ”と訓む)に飯を盛つたさうだが、これが所謂弁当箱に相当したのかははつきりしない。行樂に用ゐる携帯食が成り立つたのは江戸の中期以降…少くとも都市部で年に何べんかの贅沢が許される程度まで経済が廻つた結果だつたのは間違ひなからう。それは豊太閤風の豪奢ではないが、利休や織部のやうに凝つてゐて、光琳のやうに精緻を指向した…百年掛りで…と思へる。はつきりした根拠は無いから、信じられると困るけれども。

 とは云ふものの、複雑な経緯の後に行樂…食事を用意して出掛けるといふささやかな歓びを、我われのご先祖(の何人か)は知つたわけで、弁当箱がその歓びの象徴になつたと考へるのは、そんなに無理のある話ではないでせう。温かいとか冷めてゐるとかはその嬉しさの前に矮小な区分と化して

 「お弁当を持つて遊びに行かう」

 「お弁当を買つて電車に乗らう」

と云つた時のお弁当…正確には蓋がされたままの弁当箱は、遊びや電車を含めた樂みの徴にまでなつてゐる。その蓋を取ればおにぎり(海苔巻きと胡麻塩と赤飯)に鶏の唐揚げと玉子焼きと赤ウインナ。鰤の照焼き(鯖または鮭の塩焼きも可)、昆布の佃煮、たくわん。ポテト・サラドにケチャップで和へたスパゲッティに林檎。当り前と云へば当り前の組合せがこれだけ歓ばしく思へるまで出世したわけで、食べものの形式としては空前ではなからうか。地下人の百姓から関白まで出世した豊太閤といへども、お弁当には及ぶまい。