閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

464 魅惑ののり弁

 普段のわたしは言葉の省略を好まない。たとへばデジカメではなくデジタル・カメラ、或はパソコンではなくパーソナル・コンピュータ。特にカタカナ言葉の場合、省略した表記は要するに符牒であつて、それは何も意味しない。元の意味と略された表記を結びあはすしかないのは不便だし、それ以上に不細工ではありませんか。日本語だとその辺はまだましで、略された文字から元の言葉の推測は出來る。尤もいちいち推測しなければならない面倒はあるから、気分は矢張りすつきりしない。

 かう云つてから、例外に言及するのは些か狡い。併し原則があれば例外が出るのは世の常なので、わたしの場合だとちく天とのり弁がここに相当する。さういふ呼び方を先に覚えたからに過ぎないのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、ここで刷り込みといふ言葉を連想するのは正しい。食べものの味と言葉の好みは原初の体験で作られる。そこで言語と思考の方式の取得について考へてゆけば、面白い一文となるにちがひない。検証に膨大な時間が求められるからわたしの手には余る。残念だがこの稿ではのり弁に話を絞る。

 のり弁…海苔弁当といふ呼び方自体は、遡つても昭和五十一年生れといふから半世紀にもならず、日本語を俯瞰すればごく最近といつてもいい。某弁当屋が附けたといふ。凄い發想である。失礼ながら、あの黑くてぺらぺらしたものを、看板にしますかね、普通。と云ふのは勿論褒めてゐるので、のり弁といふ名前を知る前にこれを見て、のり弁と呼べるかどうか。わたしなら多分、綺麗な見た目ではないなと思ふのが精一杯で、名前も何も浮ばない。

 「よし、これを"海苔弁当"の名前で賣らう」

とたれが云ひ出したのかはつきりしないが(最終的に決めたのは創業社長と相場が決つてゐる)、大した才能…には到らなくても閃きではなかつたか。

 尤もごはんに佃煮や削り節、海苔を乗せた弁当またはごはんの食べ方が、昭和五十一年以前からあつたのは云ふまでもない。各地や各家庭でそれは様々な姿と味で、色々に呼び習はされてゐたにちがひない。当り前である。海苔は我われにとつてきはめて馴染み深い食べもの…"風土記"にも記述があるといふから、ざつと千五百年のお附合ひ…だもの。余程旨いものだつたのか、当時の朝廷は税として納めさせるくらゐだつたらしい。米が穫れない土地の代用品だつたのかなと想像してもいいが、米の代用になるくらゐであれば、大した評価だと見立てられるし、その方がこの稿の趣旨にも適ふ。

 海苔の話ではなかつた。

 弁当の話。

 弁当の話でもなかつた。

 いや海苔や弁当の話をしてもいいとは思ふのだが、さうすると可也り入り組んで仕舞ふ。海苔が我われのご先祖の食卓に広がりつつ、弁当といふ簡易食の成立と發展に、どう関はつたのかを短く纏めるのは六づかしい。のり弁の原型が出來たのは、海苔の養殖が成り立つてから…この特定がややこしいのだが、江戸の後期以降だらうと考へて、大まちがひにはならないだらう。弁当は便当とも書くとほり、食事よりひとつ位が低かつた。持運びが樂で保存が効いて、直ぐに食べられれば宜しく、ああここで御大尽の花見を連想してはいけません。かれらの弁当は粋と見栄で出來てゐた。さうではない農民の弁当に海苔が使はれだしたのは(漁民は食べてゐたらうな)、養殖が商ひになつた後の筈で

 「おお。けふは海苔を奢つたのか」

と云はなくなつた時期は、もしかすると明治前後であつたかも知れない。昭和五十一年といへばそこから百年余り経つてゐる。この百年は日本に西洋料理が一ぺんに流入し、日本的に変換されながら受け容れられた百年…日本の食事史を俯瞰した時、空前の激変期と呼べる時期でもある。

 ここで丼もの…かつ丼や天丼について、少し触れなくてはならない。食事を諸々の條件で分類するとして、丼ものは弁当と同じく簡便食に属する。そして簡便食としてと丼ものは見た目が今ひとつ、綺麗ではないと云ふと

 「それは、をかしい。たとへばかつ丼は、まつたく旨さうぢやあないですか」

さう反論が出されるか。併し旨さうなのと綺麗かどうかは別の話で、それが結ばれてゐるとすれば、喰つた事のあるかつ丼が旨くて、その旨さが綺麗といふ印象に紐附いただけに過ぎない。和食は目でも食べるとはいつても、それがすべてに当て嵌まるとは限らないし、目で食べる時に大事なのは、絵画や彫刻的な方向から感じる美ではなく、お箸なり匙なりで直ぐに味はひたくなる見た目の筈である。それは美術的である必要は無い筈で…この辺りの機微は、"食物の美"といふ随筆で、吉田健一が巧妙に書いてある。気になる方はご一讀あれ。それで丼ものの話をしたのには理由がある。

 のり弁は丼ものを弁当の形にしたのではないか。

 さう考へたのにも理由がある。のり弁ではない弁当は、ごはんとおかずがおほむね、分割されてゐる。幕の内弁当を思へばよく、もつと贅沢に二段三段のお重を連想してもいいでせう。そこでごはんを入れ、削り節だの佃煮だのを乗せ、海苔を敷き、その上におかずを乗せるのり弁の姿は、幕の内弁当やお重より丼ものに近しい。某弁当屋(の創業社長)が

 「かつ丼や天丼のやうな」

弁当を出さうと意識したわけではなく(立志伝的にはありさうな気もするとして)、手がるに食べられる弁当といふ目的を突き詰めて、ごはんとおかずを縦に並べるのがこの際最も合理的と判断したのは、矢張り丼ものがお手本になつてゐたからかと思ひたくなる。

 乗つてゐるおかずに目を向けると、白身魚のフライ、ちく天、申し訳程度の金平牛蒡、薄桃いろのお漬物が基本で、これはごはんに削り節、佃煮といふ伝統と、フライといふ洋食と、ちく天といふ和洋折衷の組合せではないかと気附く。風呂敷を広げた云ひ方をすると、明治から百年分の日本の食事の変化が、弁当箱と丼といふ(おそらくは)特異な形式の器に盛られたのがのり弁と云へる。前段同様、某弁当屋が歴史的文化的な面を考へたとは思へない。おかずの撰択は、手間が省けて儲かる事が基準だつたらうから、わたしの絶讚(その積りなのですよ)は結果論ではある。併し食べものは苦心惨憺の過程ではなく、出來上つたのが旨いかどうかが問題なので、結果から遡り(推測を混ぜつつ)褒めちぎつても、的外れな態度とは云はれまい。

 最後にそのおかずについて少し触れておく。先づ白身魚のフライに代つて、コロッケを入れるのは好もしくない。コロッケ自体は大好物なのだが、ごはんの上に乗せられるとその匂ひが移つて仕舞ふ。笹の葉のやうな仕切りを使へばいいと思ふひとには、のり弁にさういふ仕切りは邪魔なのだと反論しておかう。白身魚だとさういふ心配はせずに済む。もうひとつ、のり弁の名目で、鮭の塩焼きや鶏の唐揚げを入れられるのは困る。この場合だと前者は鮭弁当、後者は(鶏の)唐揚げ弁当と呼んで、のり弁と峻別するのが、双方への望ましい敬意の示し方であるとわたしは信じてゐる。と書いたところで、この稿は終る。さて。のり弁を買つてきて、罐麦酒を呑みませうかね。