閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

393 神無月の芽出度い週末

 神無月某日。土曜日。前日までの雨が綺麗にあがつた気分の佳い朝に家を出た。東中野驛まで歩いて中央緩行線に乗り、中野驛で快速に乗換へて立川驛まで。きつね蕎麦(四百十円。残念な事に余りうまくなかつた)を啜つて青梅驛へ。ここまでは順調な乗継ぎであつた。予定外になつたのはここから奥多摩方面への電車で、降りるのは沢井驛なのだが十分後に出るのは快速奥多摩行で、御嶽驛と奥多摩驛にしか停まらない。各驛停車は半時間後になる。青梅驛で半時間も待ちたくない。それで快速奥多摩行に乗つた。御嶽驛は沢井驛のひとつ奥多摩寄り、そこから青梅行があればひと驛だから青梅驛で待つよりは早く沢井驛に着到する。仮に半時間待ちだつたとして、歩けなくはないといふ判断である。

 何の為に沢井驛を目指したかと云へば、そこから五分くらゐの距離にある小澤酒造といふ酒藏の藏開きがあるからで、お酒好きを自称して足を運ばない撰択は無い。入場券は千円ぽつきり。試飲用のお猪口が附いてある。例年は出來の宜しくないビニル製と思はれる袋(四合壜が一本入る)にそのお猪口を入れるのだが、今年は布製になつてゐて

 「や。豪華になりましたね」

お金を払ひながら云ふと、受付のお姉さん(とここでは云つておく)がにこにこした。豪華になつたのは去年と比較してで、布袋自体はどうといふ出來でもなかつたが、そんな説明をする必要は無い。藏開きでは小澤酒造が醸るお酒…銘柄は澤乃井…を味はへる。布袋がその愉しみを象徴してゐると思へば、その仕立てがどうでも、気に病まなくていいといふものだ。

 藏に併設された澤乃井園といふ場所では澤乃井を買つて呑める。そこで頴娃君と落合つた。若もの二人と何やら話に花を咲かしてゐる。お早うを云つて聞いてみると、偶さか席を同じうしただけらしく、当り障りの無いお喋りではあつたが、朝から呑んで当り障りの無いお喋りを出來るのがひどい、ではなかつた、すごい。藏開きにわざわざ足を運ぶくらゐだから、数奇者なのは疑ひのないところで、数奇者同士だから成り立つたと云へなくもない。無駄話に少々参加してから試飲会場に行くと、入口のところにペンタックスを持つたG君がゐて、やあやあと挨拶してから会場に入つた。会場といつても普段は藏として稼働してゐるし、通常の見學の経路にもなつてゐる。そこに小澤酒造自慢の銘柄が並び、呑んだ順に挙げれば

 ・しぼりたて

 ・純米生原酒 しぼりたて

 ・特別純米

 ・純米吟醸 蒼天

 ・生酛純米吟醸 東京藏人

 ・大吟醸

 ・純米大吟醸

 ・大吟醸

 ・藏守 二千十三年純米

 ・一番汲み

の十銘柄。口に適ふかどうかは別に、悉くうまくて中でも特別純米には感心した。ひとによつては地味と感じるかも知れないが、癖の無い非常に穏やかな味はひは、オムレツやチーズやハムにあはせても不自然ではない。まつたく食事向きのお酒で、藏の中だから仕方ないと判つてゐても、肴がないのは残念であつた。

 試飲を満喫してからさてどうしませうかと利酒処で打合せた。鏡開きは間にあはない。それに一番汲みの“濁り”は朱とんぼといふ場所でないと入手出來ない。なので朱とんぼに向はうと決めた。無料のバスが巡回してゐるが、朱とんぼなら徒歩の範囲でもある。特別純米(三百ミリリットルで六百円)と燻製チキン。たいへん混雑した中でうまい具合に席を取れた。相席なのは勿論でその同席したグループがくさや(室鰺と飛魚)を持ち込んでゐたのには驚いた。ひとつ如何ですと云つてもらつたけれど、臭ひのきつい食べものはどうにも苦手なので遠慮した。頴娃君は初めて食べると云ひながらつまんで、こいつは凄いと絶讚してゐた。話を聞くとくさやを用意したおやぢは料理人だかで

 「くさやだの納豆だの、臭ひに癖のあるつまみが好きなんだよ」

適ふひとには堪らんのだらうなと思ふ。

 手洗ひで中座したところに、藏の會長がゐたから無事の藏開きに御芽出度う御坐いますと挨拶した。會長は藏や料理屋の会場を廻つてから朱とんぼに來たさうで

 「最初が朱とんぼだと、躰が保たない」

と笑つた。こちらも大笑ひで同意してから、今年のしぼりたてが如何にも新酒らしいやんちやさで旨かつたと云ふと

 「さうですか。新酒計りはコントロール出來ませんから」

と教へて呉れた。お酒は加水や貯藏、或は火入れで調子をととのへる…詰り澤乃井の味にするのだが、新酒はさういふ手綱がきかないといふ。天然自然が相手だから当然と云へば当然だが、會長から教はると納得の度合ひが深くなる。自慢の為に書きつけておかう。

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 序でに麦酒を一本買つて席に戻らうとしたら突然あらと聲を掛けられた。たれかと思つたら都内の某呑み屋で顔をあはせた事のあるお嬢さん(とここでは云つておく)で、数奇者はどこにでもゐるものだと呆れた。自分はどうなのだといふのを棚に置いてゐたのは念を押すまでもない。席に戻つて莫迦話の續きに花を咲かせた。莫迦話だから中身はまつたく無くて、記憶からすつぽり抜け落ちてもゐて、併し惜しくも何ともない。酒席での会話はそんな程度が丁度いいもので如何にして人生を豊かにするかなどと訊かれたところで、豊かだらうが貧相だらうが、何をしてもしなくても人生はごろんと転がつてゐる。そのごろんとしたところに旨いお酒と肴があれば

 「まあ大体は豊かになるでせうな」

藏開きに足を運んでゐる以上、外にどう応じればいいのか知ら。我われは人生(の一部)を豊かに醉つぱらつたわけで、何をどう語らつたかは忘れても差支へない。いい具合のところで切り上げて、朱とんぼを離れた。青梅驛を経由して羽村驛まで、ヨコタ・ベイスメントの兵隊さん家族だらう御一行の姉弟を揶揄ひながら、電車に揺られた。羽村で夜の部が待つてゐる。