閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

473 活用

 今どきの若ものには想像が六づかしいと思ふが、昔…四十年近く前、世間の片隅にエロ映画館といふのがあつた。エロチックな場面のある映画の意味でなく、文字通りのエロ映画で、ポルノ映画、ピンク映画とも呼ばれてゐた。にっかつロマンポルノと云へば、聞いたことがあるかも知れないと思ふひともゐるでせう。他にもオークラや新東宝の名前が記憶にあり、どこだつたか名前を失念した会社は、アメリカのポルノ映画を配給してゐた筈だ。詰り一定の需要があつた。当り前の話で、ダウンロード販賣は云ふに及ばず、家庭でさういふ映像を観る手段は皆無に等しかつた。当時の少年がエロに触れる機会といへば、エロ本とエロ劇画程度のもので、さう云へばビニール本といふのがあつた。路地裏の自動販賣機でひつそり…といふよりこつそり賣られてゐて、曖昧な記憶を辿ると一冊七百円とかそんな値段だつたと思ふ。肝腎の部分が黑く塗り潰され

 「牛乳とバタを適切に配合すれば、そこ、即ち黑塗りの部分をどうにか出來る」

といふ伝説があつた。試したことはない。何べんかお目に掛かる幸運はあつたが、實際見ると、どうも詰らなかつた。清廉潔白で純情な少年だつたからではなく、わたしの頭にあつたエロとビニール本のエロが、うまく噛み合はなかつただけのことである。それでポルノ映画館に足を運びだしたと云ふと正確ではない。当時の知人(同年代である)に誘はれ、大阪梅田の某映画館に潜り込んだのが最初であつた。何を観たかは丸で覚えてゐない。昂奮はした筈だが、いやどうだつたか知ら。映画館は梅田の目立つ場所に、堂々と看板を出してゐて、併しアンダ・グラウンドの空気は色濃く、緊張が先走つてゐたかも知れない。エロと酒席で緊張が走るのが好もしくないのは当然である。

 

 何を云つてゐるのだ、わたしは。

 

 ある夏、學生だつたわたしはアルバイトをして、VHSのビデオ・デッキを買つた。シャープ製で確か十万円くらゐ。物慾に駈られて働いたのはその一度きりで…いや待てよ、ビデオ・デッキ自体が慾しいのではなかつた。ここまでの流れで想像は容易かと思ふが、その頃レンタル・ビデオ屋が次々に出來てゐて、それでエロ・ビデオを観たかつたのである。性慾の顕れだつたのかどうか。併しポルノ映画の根本であるあの行為を實践したいと思つてゐたかと云へば少々怪しい。あの頃のわたしは女性を知らず、頭のどこかで、そのまま死ぬのではないかと思つてゐたし、またそれを悲観してもゐなかつた。一方でその行為に厭惡を感じてゐたわけではなく、寧ろ興味を強く持つてゐたのも間違ひはない。だから幾つかの名前は今も記憶にある。

 アリスJapan

 宇宙企画

 KUKI

 クリスタル映像

 桜樹ルイ

 松坂季実子

 村西とおるの"ナイスですね"とSMぽいの好き

 ああ、さうさうと膝を打つた諸彦はわたしと同じ小父さんなので、その手をどうにか誤魔化してもらひたい。それで問題があつて、当時のレンタル・ビデオはえらく高かつた。一泊二日で五百円が相場。旧作扱ひで三百円になるか、五百円のまま二泊三日だつたと記憶してゐる。また観るには家族の目を盗まねばならない。お小遣ひと時間が共に限られた中、一本を撰ぶのに非常に苦心したのは忘れ難い。多くのエロ・ビデオでは大体

 

 水着でのイメージ風(大体はプール・サイドか海岸)

  ↓

 インタヴュー(自己紹介、スリー・サイズ、初体験がいつだつたか)

  ↓

 場面が切り替つていよいよあの行為

 

 といふ流れがあつた。慈善にさういふ決め事があつたのでなく、エロ映像をビデオといふパーソナルなメディアで観せる作り方が成り立つ前の苦し紛れが、さういふ形で纏つたのだらう。同じことをしつつ、セーラー服やナース服といふ記号で、これはさう…女學生であり、看護婦…なのだと力説するのが精一杯だつたのではないか。ポルノ映画と同じだらうと思はなくもないが、あつちは映画だから早送りも巻き戻しも出來ない。荒唐無稽でも話を作る必要がある。照明やカメラ・ワークは参考に出來たとしても、丸々取り入れるのは無理がある。

 「こまつたなあ」

ビデオに参入した人びとは頭を抱へたにちがひない。映画であれば志のある数寄者が入つてくる期待はあり、實際にっかつロマンポルノ出身の映画監督を思ひ出すのはそんなに六づかしくない。ポルノは映画といふ大きな括りの中にあつたから、勉學好きな農家の三男坊が學者の養子になつて、その跡継ぎになるやうな立身の可能性があつた。この譬へ、をかしいかな。仮にエロ・ビデオの草創期以前にエロではないビデオでの映像が、ある程度受け入れられてゐれば、その技法を盗めもしたし、ポルノ映画であつたやうな、エロ・ビデオから映像家への転身だつて、有り得たかも知れない。實際は画のビデオ・パッケージ化(一万円をかるく上回る値段だつた)が殆どで、何をどう撮るか、まつたく手探りだつたにちがひない。尤もそれで工夫を凝らす余裕がなかつたか、何もそこまでと考へたか、おそらく後者だらうが、前述のセーラー服だのナース服だのといつた記号に、たとへば學校(教室)や病院(診察室か入院患者の部屋)やオフィス、或は電車やバスなどの場所、また若干のフェティーソな要素(ミニ・スカートやパンティ・ストッキングや水着)の組合せで体裁を整へるに留つた。現在のエロ・ビデオも細分化が進んだ(その過程は哲學が三千年を掛け、近代のサイエンスに分化したのを連想させるけれども)だけで、骨格は同じであらう。何だか堅苦しさうな話になつて仕舞ひさうだが、ただの連想だから気にしなくても宜しい。

 かう書きながら気附くのは、映像の作り方に文法…メソッドがあるとして、ポルノ映画からエロ・ビデオへの移り変りは、そのメソッドの決定的な分断だつたと思はれる。それは劇場映画とテレビ映画以上の解離分裂で、ポルノ映画の女優の大半(記憶にある名前は清里めぐみと朝吹ケイトのふたり)が、エロ・ビデオで鳴かず飛ばずだつたのは、間接的な證拠になりさうである。どうやらわたしは卅数年前、その劇変期に立つてゐたらしい。今となつては、もちつと注意深くあつてもよかつたと思ふのだがもう遅い。それにわたしの注意深さは揺れる乳房や弾む腰に向けられてゐて、開き直ればそれこそがメソッドの正しい活用であるとも思ふ。