閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

496 好きな唄の話~天国列車で行こう

 永井豪といふ漫画家がゐる。元天才。かう書くと激怒するひとも出るだらうが、天才にすらなれない漫画家が殆どの世界で、天才であつた事實は凄いことなのだと云つておく。序でに讀むなら、『デビルマン』(但しオリジナル版)は勿論、『手天童子』にも目を通しませう。広げた風呂敷が明後日の方向に飛ぶことが多いかれの漫画で、奇蹟的に伏線を回収し、實に綺麗に終つてゐる。永井にはまた構成ががつしりしたのを描いてほしいなと思ふのだが、六づかしいのか知ら。

 

 天才になり損ねたひとなら、それなりにゐる。サンプラザ中野をその中に入れると叱られるだらうか。爆風スランプといふ括りで見る限り、最初の三枚のアルバムでほぼすべてが出尽してゐると思へてならない。その程度だつたのだと云ふのは併し間違ひで、かれの志向とバンドに求められた方向が不幸な角度でずれて仕舞つた結果(厭なことを云へば、爆風銃とスーパー・スランプがかれの志向で纏つてゐたら、無残に失敗してゐたとは思ふ)と見ておきたい。

 

 皮肉のミンチと冷笑の千切りに諦観を散らし、諧謔の皮でくるんだ…矢張り初期の佳曲である[狂い咲きピエロ]は自画像のやうだ…のが爆風スランプであつた。サンプラザ中野個人が何を考へてゐたかは別として、我われはさういふ風にかれらの唄を聴いてゐたんである。

 この唄では逃避行、逃避の願望が剥き出しになつてゐる。救ひになつたかも知れない天使("ビニールに入れ"ておいた)は朝になると姿を消して後はコンクリートの空を見上げる外にない。それはきつと現実の様を暗示し、さう、それは甞てわたしや貴女が屡々感じた絶望に似てゐる。我われは夜を待ちかね、その果てにある最終の天国列車を目指して走る。