閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

499 好きな唄の話~Out of Blue

 我われのご先祖はエロチックな話題が好きだつたし巧くもあつた。前者は今でも同じとして、後者はさて、どうだらうか。卑語を使はずにさういふ話をする為、ご先祖は和歌狂歌や發句川柳を活用した。詰り何かにかこつける思はせぶり…暗喩の技法である。といふことは讀む側に

 「ははあ、あのことを云つてゐるのだな」

と気附かせねばならず、讀む側も気附かねばならず、これはかなり高級な共犯関係が無ければ、成り立ちさうにない。もつと云へばその暗喩は、お互ひに人口に膾炙した文藝(更に大きく伝統と云つてもいい)を知つてゐることが前提であつて、その辺の機微は柳多留を讀めば判る、とは云ひにくい。ざつとしか目を通してゐないから断定は避けるけれど、収められた大半は、ある程度にしても当時の風俗や流行を知つてゐなければ、可笑しみが判りにくい。その中でたとへば後家さん(の泣き聲)を揶揄つた一句なんかが目に入ると、にやつとして仕舞ふ。共犯が成り立つた瞬間である。

 

 岡村靖幸は聴き手と共犯関係になる天才だつた。バスケットボール、ディスコにファミコン、キスのテクニック。高校生男子の身の回りにあり、或は頭の中で蠢くことを、六づかしい言葉はちつとも使はず…おそらくかれ自身の経験や妄想を殆ど生のままで…投げ掛けてゐて、生のままで出せた理由の大きな部分は当時のかれの年齢ゆゑで、だから聴き手は熱狂したんである。

 共犯の天才がさうなる前。正しくは昭和六十一年のデヴューがこの唄であつた。何で知つたかは忘れた。大方テレ・ヴィジョンで観たミュージック・ビデオだらう。当時はさういふのを流す番組があつたのだ。この形式をただの宣伝から表現に成り得る映像にした功績はマイケル・ジャクソンに捧げるのが妥当だと思ふが(かれはショート・フヰルム即ち短篇映画と呼んださうだ。確かに『BAD』はその名に価する)、さう考へるとわたしは間接的に余祿を得たことになる。

 ビデオ自体は記憶に無いから、まあその程度だつたのだらうが、マイケルのショート・フヰルムが例外過ぎることを思へば岡村の責任とは云へない。それよりプリンスめいたかれの聲と何者かである筈なのに、何者でもない十台の自分といふ苛立ちの奇妙な一致は、同世代(友人でもあつた)の尾崎豊より余程しつくり感じられた。尾崎を貶めるのでなく、岡村の方が共犯関係を結び易かつた結果に過ぎない。但しそれは既に失せた。かれのリアルとわたしのそれが異なつてきたからで、これは不幸と呼ぶべきなのかどうか。