閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

501 本の話~いのちの顔料

梟の城
司馬遼太郎/新潮文庫

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 天正九年…西暦でいへば千五百八十一年、伊賀の忍びは織田信長麾下の軍勢に擂り潰された。伊賀天正ノ乱と呼ばれる戰である。辛うじて生き延びた伊賀衆が信長にうらみを抱いたのは云ふまでもない。併し伊賀忍は自らの手で本懐を遂げることは出來なかつた。翌天正十年 、惟任光秀が起した謀反で、伊賀國の仇敵は自害して果てたからである。天下はその光秀を討つた羽柴秀吉の手に転がり込んだ。

 「是非も無し」

 伊賀の残党はさう思はなかつた。以來十年。天正十九年は西暦の千五百九十一年。羽柴改メ豊臣秀吉が死ぬ七年前。この年、弟の秀長と一子鶴松が病死。(おそらくは止む事を得ず)秀次に関白職を譲る。千利休に自害を命じ、唐入りを宣した年でもある。豊臣政権が自壊を始める最初と云つていい年、十年前の乱の生き残りである下柘植次郎左衛門が。同じく生き延びてゐた弟子の葛籠重藏(逃げ落ちてからは半ば世を捨てた暮しをしてゐる)を訪ねる場面から、この長篇小説は幕を開ける。

 

 筋立ては實に簡単である。

 「秀吉を、刺せ…」

 要はこれだけのことで、ヒギンズの『鷲は舞い降りた』を聯想してもいい。あちらは敗色濃厚なドイツから送られた落下傘部隊が、チャーチルの誘拐を目論むだけの話だつた。冒険小説は簡潔で困難な目的を示すことで成り立つ。『梟の城』は忍者小説ではないのかと首を傾げるひとには、ヒギンズの小説に登場するドイツ兵士だつて隠微な行動をするのだから、西洋式忍者小説と呼べなくはあるまい。併しさういふ指摘は些細な話である。男たちがある目的の為に智恵と技術の限りを尽す一点で、戰國末期と第二次大戰末期といふ三世紀半を隔てた小説は、従兄弟くらゐに近しいと思へる。

 その一方、まつたく異なると感じられる点があるのは当然で、たとへば葛籠重藏には風間五平といふはつきりした敵がゐる。次郎左衛門の弟子、即ち重藏の同輩であつた忍びだが、冒頭で伊賀衆を裏切つたらしいと明かされる。秀吉暗殺の大仕事は元々、五平に与へられたものであつた。その弟子を失つた次郎左衛門は

 「もはや、伊賀にあってはこれほどの仕事をやれる忍者はわれを措いてない」

と囁く。太閤の首を掻く。時によつては五平をも殺める。陰惨を通り過ぎ、いつそ明朗とでも呼びたい解り易さと云へる。落下傘部隊の隊長であるクルト・シュタイナ中佐に、かういふ幸せはなかつた。中佐とその部下は上層部からの強要で、成功しても得られるものはない作戰に従事させられる。目標となるのは英國首相だが、敵はかれ(乃至かれを警備する英兵)ではなく、寧ろナチの体制、指導者…有り体に云へばヒトラーそのひとであつて、落下傘兵は遂にそれ乃至かれと相対せなかつた。その捩れ具合、不条理と悲劇が物語を彩るわけだが…話を天正に戻しませう。


 重藏に従ふのは葛籠家の下忍である黑阿弥だけである。次郎左衛門は"詐略の多いお人柄"で信頼には値せぬ。風間五平は伊賀を棄て、身を偽つて前田玄以に仕官してゐる。傭ひ主…堺の豪商今井宗久…が遣はした小萩にも、何やら不審の影があり、ここまではまことに結構。どんどんやり合つてくれ。

 さう思ひながら讀み進めると、ところどころで、こつんと引つ掛かる。司馬遼太郎といふ小説家は必ずしも名文家とは呼べないにしても、この違和感は何か。さう思ひつつ更に頁を捲るうち、科白がをかしいのだと気が附いた。をかしいとは併し正確ではない。天正人が"忍者"や"利益"といつた現代風の単語を口にするのが、他の科白が時代小説らしい分、余計に不自然を感じたらしい。もうひとつ、重藏を始め、登場人物たちが時に口にする長い科白が、妙に説明口調になつてゐる箇所が散見されるのも落ち着かない。科白…會話は司馬が苦手な要素らしく、後年になると説明は地の文に任せ、喋らせなくてはならないところだけ喋らせる方法に転じるのだが、この小説の頃は未だ確立してゐない。

 (歴史小説家の、歴史と云ふべきだなあ)

といふ文學的な溜息は併し洩れて直ぐ失せた。相争ふ亂波が知恵を絞り、術を駆使し、駆けまた飛ぶ…詰り生きそして死ぬ姿に搦め取られたからで、その様は時に誇らかで美々しく、時に呆気なく、愚かしく滑稽で、無惨でもある。恋を打ち明けられた重藏は云ふ。

 「男である以上、いつかは愛した女にも倦きるが、しかし仕事には倦きぬ(中略)重藏は情けに溺れて、仕事を裏切るわけには参らぬ」

その重藏の下忍である黑阿弥は甲賀衆を前に

 「忍者はおのれを雇うた者を裏切らぬということで世に立っている(中略)その最後を裏切れると思うか」

死に際、高らかな見得を切る。女には理解の及ばない情熱である。併し女にも男の想像が及ばぬ情念がある。即ち、恋。この小説にはふたりの女…先に触れた小萩と次郎左衛門の娘である木さるが交互に姿を見せる。どちらの重藏に好意を抱いてゐて、但しその好意の示し方は丸で異なる。無邪気、奔放、でなければ我が儘勝手な木さると、實は甲賀印可を受けた冷徹な忍び(重藏と敵対する立場にもなり得る)である小萩だから、ちがつてくるのは当然だが、重藏はどちらの"好意"にも振り廻され、振り廻されながらも己の仕事を全うする為の策謀から足を踏み外さない。木さるはその奔放…このむすめは重藏だけでなく、風間五平にも"お嫁に行きたいのじゃ"と搔き口説くのだ…故、我が身を滅ぼす。その最後の覚悟は父次郎左衛門が死を覚悟した瞬間に似て憐れ深い。

 一方甲賀衆のひとり、それも下忍ではない小萩の立場は複雑である。忍びとしての彼女は、時と場合によつて、重藏を殺さねばならない。繰り返される駆引きの中で、女である小萩は重藏を何もかもを投げ出し、たれも知らぬ土地へ逃げたいと思ふまで恋ふに到つてゐる。併し"情けに溺れて、仕事を裏切るわけには参らぬ"と云ひ放つた男を連れ去れるだらうか。恋慕を打ち明けられた島左近

 「いかい馳走である」

目の下を皺ばませながら(この一筆書きは見事)笑ひ、葛籠重藏といふ匕首の刃を引けば或はと呟く。その役目は勿論小萩じしんであつて、これは最早、男の仕事と女の恋のいくさと云つてもいい。重藏は重藏でおのが人生に"女が入り込む部屋"があつたらしいことに戸惑ひを覚えながら、伏見城を目指す。表の世での出頭を目論む風間五平もまた思惑を秘めて都城を走る。文禄三年の夏である。


 後世の我われは、伏見城の主は文禄三年から数へて五年を経た慶長三年に病死したと知つてゐる。シュタイナ中佐率ゐる誇り高いドイツの落下傘部隊が、英國首相の誘拐を果せなかつたのと同じく、その企ては失敗に終つた。落下傘兵は兵士の本文を全うして死んでいつた。伊賀忍びの中の伊賀忍び、葛籠重藏はどのように振る舞つたか。小萩との"いくさ"はどのような結末を迎へるのか。それは我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の樂みの為に触れない。

 小説の出來としてはあまく云つて惡くない程度ではある。構成は粗削りで虚實が混ざりきつてゐない。伏線がやや緩く、風間五平の最期に多少の滑稽感が伴ふのはその所為かとも思へる。また登場人物のあしらひが中途半端でもある。ことに島左近が終盤、唐突に、しかもちらりとしか姿を見せないのは、小萩の立場を考へれば如何にも不自然で、司馬の長篇小説…たとへば『国盗り物語』…に馴染んだひとには、消化不良を起したやうな讀後感になるかも知れない。

 にも関らず、この小説は冒頭から結末までわたしを魅了し續けた。何故か。シュタイナに協力するアイルランドの誇り高いリーアム・デヴリンは、不可能以上の無意味に挑む理由を訊かれ

 「答えはかんたんだ。そこに冒険があるからだ。おれは、偉大なる冒険家の最後の一人なのだ」

さう応じる。葛籠重藏もまた、口には出さずとも同じ心境に到つたのではないか(念を押すと、この小説が發表されたのはヒギンズよりほぼ廿年前。伊賀忍びがアイリッシュの影響を受けたわけではない)功利でなく名誉でなく、研ぎに研いだ忍びの技を使ひ尽す。秀吉といふ天下の主はいつか、その目的の為の切つ掛けに過ぎなくなつて仕舞ふ。女の目から見れば愚かしく、併し男にとつては羨望を覚えざるを得ない姿に魅了されたのだ。いやそれより

 「重藏と申す者も、左近さまと同様でございましょう。おのれのいのちを顔料に、つきつめた生涯の絵を描こうと思うております」

小萩の言葉にすべてが集約されてゐる。