閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

707 曖昧映画館~機動警察パトレイバー the Movie

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 平成元年公開だから、令和三年から卅年余り遡つた頃の映画として観る必要がある。

 平成三年、Windows3.1發賣。

 平成七年、Windows95發賣。

 当時のパーソナル・コンピュータのOSはMS-DOS 4が主流(参考までに云ふと漢字Talkは6の系統)で、ネットワークなどは企業が使ふものだつた。わたしが仕事でコンピュータを触り出したのは、MS-DOS 5/Windows3.1から95への転換期、詰りコンピュータによるネットワークが一般的になつてきた頃だつたから、この映画より後の話といふことになる。さう考へると、この時期にシステムのクラッキングを物語の鍵としたのは、慧眼と云つていい。

 

 周章てて云ふと、この映画の世界では"レイバー"と呼ばれる(人型の)ロボットが活用されてゐる。そのレイバーを制禦するOSの新しいバージョン(に仕込まれた罠)が、上に書いた物語の軸…鍵になる。となつたら、話は開發者を捕へることと、OSの修正の方向になりさうなものだが、その部分はまつたく描冩されない。開發者は(後半で判るのだが)冒頭で自殺してゐるし、主人公たちが属するのは警察だから、仕込まれた罠が引き起す(だらう)被害を食ひ止める為に行動をしなくてはならない。取らざるを得ないと云ふべきか。

 

 ある條件が満たされると、仕込まれた罠が動作を始める。そのOSを搭載したレイバーの中には、警察用の新型も含まれてゐて、それは当然、暴走を起す。意図的にバージョン・アップをしなかつた現行機との対決がクライマックスで、それまでは些か陰鬱に進んだ警察ドラマが、ここでやつとロボット・アニメイションらしくなる。尤も監督をした押井守は多分、そのロボット・アニメイションらしさを厭つてゐた気がする(次作でそれは顕著…といふより、剥き出しになるのだが)かれはこれを、"ロボットがある社會で起きる事件"の映画と考へてゐて、ロボット自体は小道具に過ぎなかつた。骨骼を取り出せば、新型の戦闘機でも金融機関でも、話は成り立つ(映画ではないので念の為)のが證拠。

 

 かう書くと、えらく批判的だと思はれるだらうが、またその面があるのは否定もしないが、好き嫌ひで云ふと、この映画は好きの範疇に入る。しつつこいロケーションがあつたと思へる町中の描き方だつたり、過剰なのに過剰と感じさせないカメラ・ワークだつたり、システムが暴走する條件附けの説得力だつたり、よく出來てゐるのは間違ひない。ロボットの尤もらしさを堪能したいなら、最適の一本と云つていい。