黑酢と聞いたら何となく昂奮しませんか。おれはする。
酢豚と聞いたら何となく昂奮しませんか。おれはする。
なので品書きに「黑酢酢豚(定食)」とあつたのを目にしたおれの昂奮が二倍…訂正自乗になつたのは、不思議ではないといふより寧ろ、当然の帰結であつたと云つていい。
最近なのかどうか、流行なのかどうか、酢豚にケチャップを濫用する傾向は苦々しい。使ふなと無理を強ひる積りは無いが、気に入らないのに変りはない。
「酢豚は酢の湯気に噎せるのも味であり樂みなんである」
黑酢酢豚は黑酢の名の通り、獨特の濃いいろに仕上る。
その色みを美味さうに思へるかは、議論の余地がある。
味と美學の両面の問題と云へさうで、かういふ問題はおれの手に余る。この場では、黑酢仕立てが美味いのを知つてゐて、信用出來るお店の品書きでもあつたので、お待ち遠さまと出された黑酢酢豚も美味さうに映つたと云ふに留める。
その手に余る件に就ては、尊敬する吉田健一が書いた「食物の美」といふ稍長い随筆に任せたい。
我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は御一讀あれ。
併しその黑酢酢豚を目にして、文字通りの酢豚だつたのは少々驚いた。正確には画像のとほり、揚げ豚肉に黑酢のあんを打掛けたやうな姿で、酢豚原理主義者…それがどんなものなのかはさて措き…が見たら、何を云ふだらうと思ふ。
酢豚の原理は兎も角、大事なのは酢豚原理主義者ではないおれの口に適ふかどうかで、黑酢の湯気で噎せつつ結論を云ふと美味かつた。黑酢の分、酸みの尖り具合が穏やかなのが好もしい。白髪葱との取合せも宜しく、麦酒に似合ふ。
ああ成る程。
これなら櫛切りの玉葱、乱切りの人参や筍を入れると却つて邪魔になりさうだと納得した。とは云へこの黑酢酢豚は定食である。ごはんにあはす点では些か物足りなささうにも思はれる。いやここで黑酢で酢豚だと倍だか自乗だか昂奮した割には、妙に冷静な言だと云はれてはこまる。昂奮したのは事實。落ち着きを気取れるのは、綺麗に平らげて満腹したからである。黑酢酢豚は六づかしい。