閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

811 白子角右衛門

 生没年不詳。

 江戸末期の秋田の武士。

 

 と書いて、ここから拡げられるだらうかと思つた。

 三秒考へて、諦めた。

 

 東北の日本海側は未だ訪れたことがなく、文字としての知識も、殆ど持合せてゐない。鰰やお漬物を肴に晝間つから呑むため、足を運びたいものだと常々考へてはゐる。北國のお酒が旨いのは経験的に知つてゐるし、ああいふ土地なら魚やお米は勿論、保存食だつて美味にちがひない。歴史のたらればは口にするものではないが、秋田…だけでなく東北で牧畜が成り立つてゐたら、ハムやソーセイジ(どちらも元は保存食である)が今ごろ、名品に数へられてゐたんではないか。

 

 ここまで書いて、明治維新のごたごたの中、武士の身分を捨てた白子角右衛門といふ男が、牧畜に残つた生涯を掛けてゆく…といふ架空の牧場の物語が浮んだけれど、どんな風に膨らませばよいものか、さつぱり判らない。

 いつだつたか、或る晩、麦酒を呑んでゐたら

 「白子がありますよ」

と云はれたんである。この"ありますよ"の後には、括弧書きで"食べるでせう"が繋つてゐる。こちらに断る理由が無いのは勿論なので

 「ええお願ひします」

さう応じた。応じつつ考へたのは、麦酒にあはすのはちつとちがふ気がするといふことで、ここは矢張りお酒にしたい。と云ふのは正確ではなく、お願ひしますと頼みながら、さてどの銘を呑まうかと考へ、記憶のがらくた函から、[角右衛門]が旨かつたなと思ひ出した。確めるとその[角右衛門]はまだあつた。呑まない道理はあるまい。

 気になるひとのために書いておくと、[角右衛門]は美山錦(精米歩合は六割)を使つた純米酒。かろやかな口当りで、薄刃のやうな切れ味がいい。日本の白葡萄酒に近い味はひの銘があつた気がされる。

 白子が旨いのは今さら云ふまでもない。あの見た目は併し西洋人の目にはどう冩るのだらうと意地の惡い感想は浮ばなくもない。濃厚なのか淡泊なのか、何とも形容の六づかしい味で、その白子を噛むといふより口中で押し潰すと、これまた何とも云ひにくい粘りが感じられ、それを[角右衛門]で洗ふと、(繰返して云ふが)何ともかとも、気分が宜しい。ぜんぜん具体的でないと云はれたつて、佳いお酒と佳い肴の佳い出會ひを文字にするのは、おれの手に余る難事だもの。勘弁してもらひたい。

 こんな風に話を進めたら、我が辛辣な讀者諸嬢諸氏から

 「ハムだのソーセイジだのはどこに行つたのか」

と咜られさうで、成る程一理ある。白子角右衛門の名は、白子を肴に[角右衛門]を呑んだ後、何日かが過ぎて思ひついたので、時系列が逆になつてゐる。第一、ハムやソーセイジの前に白子角右衛門があつた。そこで冒頭に戻ると、白子ノ角右衛門だつたら、北國生れの酒好きで色白の盗賊といふ姿が出來る。時代小説に出せさうな感じもするが、そもそも江戸期の人びとに白子を食べる習慣があつたものか、その辺が判然としない。矢張りおれの手には余る難事であつて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には勘弁してもらひたい。