閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

877 迷惑な話

 御行儀が惡いのは承知しているんだが、汁かけごはんが好きなんである。

 お茶漬け、お味噌汁かけは勿論、水炊きの後に器に残ったおつゆや鋤焼きの後の溶き卵、おでんのつゆに煮抜きの黄身をとろかしたの、或は野菜炒めや回鍋肉のお皿に余ったの…そういうのをごはんに打掛け、でなければ器やお皿にごはんを入れて食べるとまったくうまい。

 そういえばある時期、居酒屋での〆にお茶漬けを註文するのが決り事だった。梅干しを乗せたやつ。いつの間やら食べなくなった理由は判然としない。おれのことだもの、大方、醉っぱらうのに忙しくなったとか、その程度だろう。口が洗われたし、呑む時には水を摂るのが好もしいことを思うと、あの習慣は決して惡いものではなかった。

 おれの場合、食事の最後をお茶漬けにして、口とお茶碗をさっぱりさせるのが元々の目的で(居酒屋の梅干し茶漬けもその延長線上にある)、中學生か高校生の頃、身についた。爾来四十年、身についた筈の習慣は、どうも色々と剥がれ落ちているらしい。そうでなくては、上のような例を續々とは挙げられず…それは認めるのに吝かではないにしても、旨いと知ったんだもの、仕方ないじゃあないか。

 ここまで書いてから云うのも何だが、この暫くの好みは湯漬けである。冷めしに熱いお湯を掛けて啜りこむ。我ながら實に安直である。併し安直だから不味いとは限らないでしょう。醤油を三滴ほど垂らしたり、塩昆布(シオコブと訓んでもらいたいね)を乗せるのも宜しい。お漬物のひとかけふたかけでもあれば、食事の二歩か三歩、手前まで近づける。

 鯛めしをここで思い出した。身も蓋もなく云うと、お殿さま…確か松江の松平不昧公だったか…の絢爛豪華な汁かけごはん。詳しいことはご自身でお調べいただくとして、あすこまでゆくと、食事というより茶人料理人の藝と思えてくる。もちっと俗に寄ったのを思い出すと…尊敬する吉田健一の随筆に書かれた新橋茶漬けがあった。鯛だかと海苔、それから山葵。銀座で散々呑んだ後、立ち寄って二杯か三杯、平らげたという。醉ってから食べたくなって、實際に平らげられたのだから、余程うまかったんだろう。尤も吉田の随筆が書かれたのは半世紀余り前の筈だから、今は勿論、やっつけられない。残念だなあ。

 まあ不昧公や新橋の呑み屋には及ばずとも、お刺身の切れ端と揉み海苔と山葵があれば、擬きならでっち上げられそうではある。ではあるが、そこまで手を掛けるのも如何なものかと感じられる。汁かけごはんの妙は安直なんだもの。極端に云えば、お漬物の欠片だの佃煮の余りだの汁椀の残りだのをごはんに打ち掛け、気が向けば胡麻でも散らして、ざらざら掻き込むのが気樂で宜しい。

 そこで思い起されるのは何代か前の小笠原当主。御膳を出された当主は、貴族が物蔭から覗き見しているのを察し、何もかもをごはんに乗せ、汁を掛けてさくさく平らげた。ここまではいい。気樂である。殿上人はその様を見て、礼儀作法の宗家も大したことはないと笑い、笑ってから下げられた膳を目にし、驚嘆したという。お箸の先が"二分トハ汚レテ"いない。厭みと云えば何とも厭みな逸話だけれど、汁かけごはんを食べる度に思い出されるから、甚だ迷惑をしている。御行儀惡く食べたって、いいじゃあないか。