閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

908 チャシュウ

 尊敬する吉田健一はチャシュウメンと書いた筈だが、この稿では叉焼麺とする。このちがひは、好みに属することと思つてもらひたい。

 滅多に食べない。

 当り前の醤油ラーメンで十分だし、普段の私なら、醤油ラーメンよりきつねそばを註文する。叉焼麺の場合なら、掻揚げ…天麩羅蕎麦に該当するだらうか。

 併し品書きに"特製 葱叉焼麺"とあつたら、事情が変るのは人情の自然である。文字の為せる効果は侮れない。それでお店(陋屋の直ぐ近くにある中華屋)に入り込み

 「特製の叉焼麺を、お願ひします」

さう註文して、暫く待つた。待つてゐる内に、新しいお客が次々入つてきたから、早めに入つてよかつたと思つた。

 叉焼が細切りになつてゐた。少々驚いた。これが"特製"の由來なのか知ら。

 ひと先づソップ。このお店らしい穏やかな醤油味。惡くない。惡くないが、何となくばらついた感じがする。蓮華にソップと麺を乗せ、お酢をちよつぴり垂らしたら纏まつた。こちらの好みに適つてきたと云へばいいか。

 肝腎の叉焼は残念ながら、褒めるまでには到らなかつた。まづいのではなく、葱やソップ、麺と一緒に食べたので、印象が曖昧になつてしまつた。

 但し、その細切り叉焼と葱とソップと麺、それからお酢を組合せた味…詰り叉焼麺としては、中々宜しい。實際、綺麗に平らげたのだ。丸印を差上げるのに吝かではない。残念ながら、天麩羅蕎麦相当とまでは云ひにくいが、これは麺料理として完成した蕎麦と、さうではないラーメンのちがひによる部分が大きいからで、我が"特製 葱叉焼麺"だけに責任を負はせるのは無理がある。

 ところでこのチャシュウメンを吉田健一が食べたら、何と批評するだらう。ちよいと気になるところである。