閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

909 キヤベツと時間

 時々足を運ぶ小さな呑み屋の品書きに、"塩キヤベツ"がある。塩揉みではない。ざくざく切つた生のキヤベツに薄切りの葱を乗せ、白胡麻を散らして、胡麻油と大蒜でどうかしたたれを掛けたのに、塩昆布をあしらつてある。

 美味、とは云ひにくい。併し味の濃いお摘み(たとへば串焼きのたれやハムカツ)の合間に挟むと、口が変つて實に具合がいい。お漬物やピックルスに近さうだと云つたら、何となくでも傳はるだらうか。

 そのキヤベツ、我が國での歴史は案外と淺い。本格的な栽培は明治以降で、普及したのはもつと遅いから、我われの食卓史を俯瞰すると、新参者の野菜と云へる。[八百善]が知らなかつたのは間違ひない。

 だとすると、我が國の"キヤベツ料理"が貧弱なのも無理はない。キヤベツ料理と聞いて浮ぶのは、ロールキヤベツや回鍋肉(但し日本式に改造されたやつ)が精々だし、どちらも元は輸入料理だから、日本のキヤベツ料理は未だ、存在してゐないとも云ひたくなつてくる。

 併し我われには塩キヤベツがある。

 さう云つたら、何を大仰なと笑ふひとが出さうだが、ここでザワークラウトを挙げれば、反論になりさうである。あの白くて酸つぱいキヤベツが、獨逸の麦酒とソーセイジに欠かせないのは、改めるまでもないでせう。獨逸人がさういふ風に育ててきたからで、大したものと云つていい。私も好む。

 尤もこの白い酸みキヤベツは、(獨逸式)麦酒にマスタードをたつぷり添へたソーセイジでないと、似合ひにくい。そこで塩キヤベツである。塩は東洋西洋を問はず、最も基本的な調味料だから、お酒でも焼酎でも葡萄酒でも、適はない筈がない。また種類で味はひが様々に異なるのも塩である。その塩そのものを使ふのか。塩昆布や塩漬けの類を使ふのか、またキヤベツは生か茹でか炒めか焼きか蒸しか。その組合せを呑み助が丹念に育ててゆけば、塩キヤベツが"我が國獨特の(またもしかすると初めての)キヤベツ料理"の坐を占める可能性も考へられてくる。唯一且つ最大の問題は、我われ呑み助がその完成を待てるかといふ点で、それはどうも疑はしい。