閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

360 何をしなくてもかまはない日の歓び

 朝起きて、その日が何をしなくてかまはない日だと気づいたとする。ここで云ふすることは洗濯や買物や掃除…要するに日頃我われをうんざりさせるあれこれの意味で、そんな都合のいい日があるものかと思はないで、兎に角何かの拍子でそんな日が出來たと想像したい。

 お誂へむきに外は曇り。

 さうなると一ぱい引掛けてもかまふまいと思ふのが正しい人情で、では何を呑むのか。吉田健一だつたら“菊正”か“千福”だらうな。檀一雄なら

「おれがめしを用意するから、いいのを見繕つてきなさい」

と云ふのではないか。詰り何を呑むかは、何を食べるかで撰ばなくてはならない。

 ベーコンやハム、ソーセイジ。

 チーズ。

 炒り玉子。

 酢漬けの野菜。

 オリーヴ油漬けの鰯や鯖。

 燻製の鮭。

 馬鈴薯やマカロニのサラド。

 鴨に鰊。

 羊に鶏に豚に牛肉。

 かういふ献立なら矢張り、シェリーから葡萄酒の流れにならうか。一方で

 鯵の開きや塩鮭。

 鯖の一夜干し。

 白菜や胡瓜のお漬物。

 大根おろしを添へた厚焼き玉子。

 韮のおひたしや蛸の酢のもの。

 鮪のお刺身と焙つた穴子

 厚揚げと小芋の煮ころがし(鶏のそぼろあん)

 蛍烏賊

 具をたつぷり入れたお味噌汁。

 これならお酒になるだらう。煮ころがしの代りに豚の角煮を、お味噌汁を豚汁にするなら焼酎が似合ふし、酢のものに苦瓜を使へば泡盛だつていけさうである。

 ただ上に挙げた献立は意図して洋風和風に分けたから、何を呑むかを(比較的にしても)撰び易いだけのことで、實際…それでも想像の範囲だが、少し現實に歩み寄ると、卓子の上はもつと混乱するにちがひない。ほら、ホテルのバイキング形式で好きなものを取つてゆくと、いつの間にやらお皿が多國籍になる。幸か不幸かは別として、現代の我われにとつてはそれが朝めしなので、たとへばこんな献立が考へられる。

 茹で(または焼き)ソーセイジにケチャップとマスタード

 炒めたベーコン。

 鹿尾菜と蓮金平。

 鰤の照焼き。

 バタと牛乳を使つた炒り玉子。

 ポテト・サラド(玉葱と胡瓜とハムと茹で玉子)

 トマト・ソースをかけたマカロニ。

 大根おろしを添へた焼肉。

 パプリカや大根、キヤベツの酢漬け。

 野沢菜漬けと白菜の浅漬け。

 大蒜の醤油漬け。

 韮と卵黄のおひたし。

 厚揚げを焚いたの。

 温豆腐(葱と紅葉おろし)

 豚汁に雲呑のソップ。

 チーズとクラッカー。

 かうなると何を呑むか、迷ひが生じる。何がなんでも麦酒、たれが何を云つてもお酒といふひとなら、目の前に何が並んでも平気だらうが、わたしはさういふたちではない。“ティオ・ペペ”から始めて、シャトー・メルシャンの“一文字短梢”(切れ味がすすどくて美味い)それから“ハイネケン”辺りを挟んで、“鳳凰美田”か“蒼天”か“初孫”か、思ひきつて“残波か“彌生”を水で割るのも惡くない。悩ましい。

 併し迷ひながら呑みだしても、呑んでゐればいい気分になるのは、疑念の余地は無いし、それでいい気分になれば、朝めしはいつしか晝めしを兼ねてゐる筈で、何をしなくてかまはない日の歓びはかういふところにある。