閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

972 ニューナンブの議論

 お酒とお蕎麦と冩眞と冩眞機を偏愛するニューナンブといふ團体に私が属してゐるのは、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にお馴染みだと思ふ。さうでなくても、お馴染みなのだと考へてもらひたい。

 

 そのニューナンブの構成員にS鰰氏がゐる。穏やかな顔つきの大人…ここはウシと訓んでほしい…だが、稀に強烈な毒くちを叩く。車と映画とお酒(日本酒に限らない)造詣のふかい人物でもある。私の見るところ、その造詣は経験に基づいた厳密と緻密が、背景にある。

 

 ところでニューナンブにとつて、神無月は重要な位置を占める。我われの"御用達"銘柄である小澤酒造…ここからは敬意を込めて、澤乃井と呼ぶ…の藏が開くからで、ここで"開く"と云ふのは、新酒が出來ましたの意。その新酒を澤乃井では"しぼりたて"と名附けてゐる。

 

 さて。

 厳密緻密な男であるところのS鰰氏は、澤乃井の"しぼりたて"に疑念を感じたらしい。ここで念を押すと、S鰰氏にとつての日本酒は、火入れをしてゐない、所謂生酒であつて、その視点から見ると、"しぼりたて"が火入れであることが、どうにも納得し難いらしい。

 そこにクロスロードG君が登場する。ニューナンブの構成員なのは云ふまでもない。S鰰氏が厳密緻密なら、かれは鷹揚な男なので、カップ酒から上々のヰスキィまで、等しく愉める。さういふ嗜好の持ち主が、その辺は気にしなくてもいいでせうと云ふのは、当然である。

 更に頴娃君(この男の紹介は要らないと思ふ)が意見を開陳した。かれの日本酒嗜好はS鰰氏の影響を受けること大である。"しぼりたて"の"たて"は出來たてを意味する筈なのに、火を入れるのは名称として、奇妙ではなからうかと疑義を呈してきた。尤もと云へば尤もな疑念の提示である。

 

 そこでクロスロードG君が、私に話を振つてきた。

 「貴君、蟹の"しぼりたて"に就て、どうお考へか」

 なんとまあ、迷惑な話の振り方だらう。併し話を振られ、目を瞑るわけにもゆかない。それにどちらかと云へば、私の気分は、クロスロードG君に遠くなくもある。なので頴娃君の指摘した、日本語としての使ひ方も含めつつ、思ひまた考へるところを書いてゆく。詰りここまでが前段であつて、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、ご寛恕をお願ひ…そこはまあどうでも宜しい。前段を續けるわけにはゆかないもの。

 

 で、"しぼりたて"に就て、先づ以下の二つ(引用にあたつて一部を削つた。私の責任なのは云ふまでもない)を讀んだ。

 

日本名門酒会

https://www.meimonshu.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=360

 伝統的な酒造りをする各地の蔵では、昔ながらに冬の寒いさなかにお酒を仕込む「寒造り」が行われています。秋に穫れたばかりの新米で仕込まれた新酒が、次々にうぶ声をあげます。

 このできたて・搾りたてのお酒を、そのまま瓶詰めしたのが新酒生酒「しぼりたて」です。

 火入れをしない生酒のまま、瓶詰めします。

 

日本酒造組合中央会

https://www.japansake.or.jp/sake/know/calendar/030109.html

 「しぼりたて」は、酒粕とお酒がいっしょになったドロドロの状態(醪・もろみと言います)のものを漉しただけで出荷する、超フレッシュなお酒です。ふつうは出荷前に2回加熱殺菌されますが、しぼりたては生のまま出荷されます。

 生酒は一年中あり、「しぼりたて」はそのひとつです。できたてのお酒を貯蔵熟成せず、若々しい味わいを楽しむものを特に「しぼりたて」と言っているのです。

 新酒というのは、今は、この秋に収穫されたお米で仕込んだお酒のことです。

 

 上の記載を信じると

・その年に収穫されたお米で醸し

・貯藏も熟成もせず

・そのまま出荷した

 お酒を、本來的な意味での"しぼりたて"と呼ぶらしい。成る程S鰰氏の疑念と、頴娃君の指摘は、正鵠を射てゐたことになる。何となく、悔しい。

 悔しさはひとまづ横に措いて、こちらからは

 「"しぼりたて"の"たて"は、いつまで"たて"と呼んでいいのだらうか」

と疑念を呈したい。厳密を期して云ふなら、醸して樽(乃至壜)に詰めたのを、その場で呑めて、初めて"しぼりたて"なのではなからうか。かう云ふと

 「すりやあ惡しき厳密な態度…寧ろ屁理屈だよ」

眉を顰められさうでもあるが、(大まかな)定義に従ふと、出荷して酒屋さんに並んだら、それは時間の経過として、既にしぼり"たて"と呼ぶのが六つかしくなつてゐると反論して、日本酒的にも日本語的にも、不自然とは云ひにくい。

 このまま進めると、話が噛み合はなくなりさうである。厳密主義からは少し、距離を取り、考へなほしませうか。具体的には"出荷"…もちつと云へば藏から酒屋を経由し、我われの家に來てから、酒器に注がれるまでの時間。生酒が時間と温度と光にたいへん敏感…一晩であじはひが変るくらゐに…なのは、わざわざ念を押すまでもありますまい。詰り搬送と保管を重視する必要がある。その年に収穫されたお米で醸した、貯藏も熟成もしないお酒を、出來るだけ多くの呑み助に味はつてもらふ為の、"最小限の火入れ"は、寧ろ必要でありませうと、私には思はれる。S鰰氏や頴娃君の見立ては勿論として、クロスロードG君の考へるところからも、離れてゐるだらうとは感ぜられて、残る議論は神無月の澤乃井の樂みに置いておかう。

 

 序でながら、澤乃井の"しぼりたて"には、別の銘として"一番汲み"がある。濾過も施さない、醗酵が續く濁り酒で、厳密緻密の立場から云ふと、これが"眞のしぼりたて"と呼べるやも知れない。またこの"一番汲み"が、實にうまいのだ。