閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

914 令和最初の甲州路-雨天晴天(前)

 皐月の十八日。木曜日。頴娃君から聯絡が入つた。翌日からの"甲州制服襲學旅行"初日に予定してある、勝沼は[ぶどうの丘]が

 「臨時休業になつてゐる」

とのことで、危ふくフォーレター・ワードを口走りさうになつた。私は紳士だから我慢した。それに臨時休業を知つたのが前日なのは寧ろ幸運で、ニューナンブとしては、急な対策が求められる次第となつたけれど、この時点ならまだ、対応は出來る。尤もその場で判断するのは六つかしい。案を探して、翌朝の特別急行列車、"走る居酒屋 あずさ號"で取り纏めることにした。

 

 十九日の早朝、ラヂオの天気予報を聴いたら

 「甲信越地方は晝頃から雨になるでせう」

と云つてゐた。厭な予感がした。確かに外は曇。珈琲を一ぱい飲み、念の為、ビニール傘を持つて出た。ビニール傘は人類の共有財産である。結果として捨ててもかまふまい。

 新宿驛で頴娃君と落ち合つた。荷物は相も変らず、探検に行けさうな重々しさである。我われの特別急行列車は決つてゐるから、發車まで自由行動とした。[成城石井]で酒精、[頂]でお便当を贖ひ、プラットホームにある喫煙所で煙草を吹かした。これから暫く煙から離れると思ふと、些かうんざりするが、文句は云ふまい。

 

 平成の頃から、ニューナンブ御用達の特別急行列車は、新宿驛午前八時發のあずさの第五號である。頴娃君に任せた切符は、通路を挟んだB席とC席で、慎重な態度と褒めるべきか、神経質と呆れればいいのか。その判断は横に措いて席に坐つた。平日の朝なのに、混雑してゐる。暇を持て余す人びとがゐるらしい。苦々しくと思つてゐたら、あずさ五號は恙無く發車した。甲府驛までの停車は立川驛と八王子驛。

 中央本線に乗るなら、お便当は三鷹驛を過ぎてから蓋を開けるのが本來である。それを意味の無い儀式と笑ふひとは間違つてゐて、儀式は儀式であることに意味がある。併しこの日に限つては、たいへんな空腹を感じてゐて、空腹と儀式なら空腹を優先せねばならない。これは世界の数少い眞實なので、荻窪驛を過ぎた辺りで

 「そろそろ始めませう」

さう云つた。頴娃君は私の柔軟な態度に感服したやうであつたが、もしかすると誤解かも知れない。

 "金目鯛の西京焼き"便当(千五十円)と、オリオンのドラフトを卓に乗せた。頴娃君はヱビス・ビールに、銀鱈の何やら便当と、どこやらのチキンカツを出したからびつくりした。

 「貴君、そんなに食べるのかね」

 「あずさ號でしつかり食べる積りでゐましたからね、腹が減つて、堪らんのです」

笑ひながら乾盃をすると立川驛に着いて、乗客の何人かがわらわら降りたから、また驚いた。新宿から立川くらゐなら、快速列車に乗ればいいのに、お金持ちなのだらうか。

 他人さまの財布はどちらでもいい。オリオンのドラフトは朝の特別急行列車に似合ひのかるさである。お便当を摘む。煮ものは好みよりあまい。東京風なのは判るんだが、馴染まない。西京焼きはまあ、こんなものか。頴娃君はチキンカツにウスター・ソース、或は塩をちよいとつけて、旨さうに頬張つてゐる。それはさうとして、甲府まで出た後

 「午前を、どうしますか」

 「悩ましいところです」

 「調べた限り、特段の何やらはありませんでした。県立の美術館は午前九時から開いてゐますから、ミレーを観に行くのは如何でせう」

と提案したら、あつさり同意を得られた。

 「甲府市内でお晝をやつつけて、[まるき葡萄酒]に行くのですな、いい考へです」

安心してヱビス・ビールに取り掛つた。気が附いたら頴娃君は、野可勢を開けてゐる。やるねえ。

 我われが乗つたあずさ五號は、午前九時半に甲府驛へと着到する。東海道新幹線ののぞみ號で云へば、東京驛を出て、名古屋にも届かないくらゐであつて、しだらなく呑むほどの時間ではない。[成城石井]の罐入り葡萄酒(モンデ酒造が詰めを請け負つてゐるシャルドネ)を開け、そんなことを思つてゐたら、車掌さんが

 「間もなく甲府です」

と放送したか。すりやあ、早すぎる。シャルドネを喇叭呑みしながら、文句を附けてやらうかと思ふ間もなく、甲府驛のプラットホームが見えたから、慌てて降りる用意をした。

 山梨県立美術館は甲府驛からバスに乗る。その積りでゐたら、バスは数分前に發車した後だつた。

 「うーむ、これは」

 「止む事を得ませんな」

 「さうですな」

タキシを奢ることにした。車に乗つたら直ぐ、窓に雨粒が当つた。朝の厭な予感が現實になつた。

 甲府驛に戻るバスの時刻を確め、自由行動に移つた。美術館が建つ公園は文化的な場所だから、灰皿を置いてゐる。そこで一本、ゆつくり吹かして、館内に入つた。こちらが観たいのはミレーなので、常設展の切符を買つた。受附で

 「山梨に泊るか、泊つたか、しましたか」

 「はい。東横インに泊ります」

切符代(五百二十円)が百円が割り引かれた。文化的…といふより、観光の工夫と呼ぶべきか。併しそれで廉の特典を得られるのだから、八釜しいことは云ふまい。

 目当てのお針子は、相も変らず、穏やかで愛らしい寝顔を見せてくれて、ダニフスとクロエも幸せさうたから、何とも佳い気分になつた。この美術館はミレーとバルビゾン派と呼ばれる画家の収藏が素晴しいのだけれど、この日は『眠れるお針子』と『ダニフスとクロエ』、『無原罪の聖母』の三点をじつくり観て、すつかり満足した。展示をすべて丹念に観るのが、ひとつの方法なのは云ふまでもないとして、お目当てに集中するのもまた、美術館の樂みであると思ふ。

 

 バス停で頴娃君と落ち合つて、甲府驛まで戻つた。南口のロータリーから北口に出たあたりで、いよよ(天気予報のとほり)雨が降つてきた。傘をさした。数分歩いたところに[きり]といふ蕎麦屋があつて、お晝はここでしたためる。周りを見るに、ご近所でなければ、甲府驛近辺が生活の範囲にあるひとたちが集ふ店であるらしい。テイブルに案内され、さて何をやつつけますか。品書きを睨むこと暫し、私は鶏もつ煮とお蕎麦のセットと七賢を註文し、お蕎麦は後で用意してもらふことにした。頴娃君は単品の鶏もつ煮と馬刺、お酒の銘柄はよく判らない。

 小鉢代りの野菜、金平牛蒡…まではいい。そこにごはんが出てきたからびつくりした。品書きを見直したら、セットにはごはんが必ずつくとあつた。甲州人は食慾旺盛なのだらうか。セットの鶏もつ煮で先に平らげ、無かつたことにした。さうしたらお店の小母さんが

 「ごはんのお代り(無料ですよ)は如何です」

と聲を掛けてきた。礼儀正しく遠慮した。甲州人の食慾は旺盛なのだと確信した。頴娃君は馬刺と鶏もつ煮でちびりちびりと呑んでゐる。その鶏もつ煮は、山椒や七味唐辛子をはらりと振つたら、七賢に似合ふ。

 何年前だか、別のお店で食べた馬のもつ煮を思ひ出した。獸肉や内臓は味噌なり醤油なりでゆるゆる煮込めば旨くなる筈なのに、これだけは本当に辟易した。馬を煮るから駄目なのだと見立てられるのは事實だが、百閒先生は"玄冬観櫻ノ宴"と称して、馬肉の鋤焼きだつたかを客人に振る舞つてゐるから、煮たらまづくなるわけではあるまい。品書きに出せるだけの調理が確立してゐないのか知ら…と考へれば、鶏のもつ煮は大した發明といつていい。

 もり蕎麦を一枚、平らげて御馳走様を云つた。お勘定は千と八百円。もうはつきり雨の落ちる中、甲府驛まで歩いて、各驛停車に乗つた。勝沼ぶどう郷驛で降りれば、午后二時から[まるき葡萄酒]の見學が我われを待つてゐる。