閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

979 狐

 黑おでん。

 大根。

 結び蒟蒻。

 信太。

 このおでんは、静岡風の筈だが、信太を品書きに用意したのは何故か知ら。参考までに信太は"シノダ"と訓む。大坂に信太山といふ地名があり、そこには狐がゐる。狐は鹿と並ぶ神使の獸。その狐…神聖な獸である…が好む油揚げ。詰り信太は油揚げの隠語であつて、ややこしい構造ですな。

 画像の信太は、油揚げで練りものをくるみ、串に刺してある。全國各地のおでんを、詳しく知つてはゐないから、断定は避けつつ云ふと、大坂のおでん種では見た記憶は無いし、他の呑み屋のおでんでも、矢張り見たことがない。静岡人は神使の狐に、特別の愛着があるのか知ら。

 併し現代の静岡は、遠江駿河伊豆の三國から成り立つてゐる。さう思ふと、愛着云々など結論附けるのは、単純で叉軽率な態度とも云へる。大坂暮しの長かつた静岡人が、油揚げを懐かしんで作つた、と想像するのはどうだらう。などといふ由來の詮索は横に措いて、信太は中々うまい。

 呑み助に大切なのは、そちら…うまいかどうか、もつと云へば、お酒に適ふかどうか…ではないか、と云はれたら、そのとほりだが、名前からその發祥やら切つ掛けやらに、考へを巡らすのも、肴のひと品である。次の機會には、お燗をやつつけながら、考へを進めてみませうかね。