閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

982 駄目な大人の夕方と明け方

 ビジネスホテルに泊る樂みのひとつは、その近所や驛前の呑み屋に潜り込むことである。併しどうもチェックインをしてから、わざわざ出るのは面倒な場合もあつて、そんな時には、予め麦酒だのお摘みだのを買つておけばよい。

 「家で呑むのと、大して変らんぢやあないか」

さう思つては間違ひで、家とはちがふ場所だもの、マーケットのお惣菜の味が、ちよいと違つて感じられもする。

 大体のチェックインは、午后遅くか、夕方の早い時間になる。荷物を置いて、靴下を脱いで、手を洗つて、先づは罐麦酒を一本。それからお風呂に浸かるか、シャワーを浴びるかすれば、こちらのものである。スポーツの中継があつたら、見物するし、ラヂオを音高く聴いてもいい。

 お摘みを撰ぶこつは、冷製を主にすること。ビジネスホテルの場合、電子レンジは共有のスペースにあるのが殆どなので、部屋を出る手間を省く為である。温かいものが慾しければ、お湯は沸かせるから、お味噌汁でもソップでも、或はカップ麺でも買つておくのが宜しい。

 早鮓。

 酢のもの。

 お漬物。

 チーズ。

 焼海苔。

 最初に烏賊のフライか、鶏の唐揚げ辺り(これなら冷めても不満は小さい)を用意すれば、お酒にもなだらかに移れるだらう。それに獨りで呑むのだし、周りにはたれもゐない。存分にお行儀惡く出來る。使ふのは、紙皿とプラスチックのコップが精々。洗ひものの心配も無い。ごみだけ袋に詰めて済むのは、家で呑むより自由な感じがされる。

 もつと自由な感じがするのは翌朝である。前日の買ひものにあたつて、この分まで確保しておくのが、当然の準備だとは、強調するまでもありますまい。

 珈琲とサンドウィッチは、あつた方がいい。前菜である。その後、散らし寿司(或は助六)と、ちよつとしたサラド(この場合、マカロニ・サラドが好もしい)だつたり、前夜から余つたお漬物やチーズを肴に、罐麦酒、お酒、罐酎ハイ…たまは、半壜の葡萄酒を奢るのもいい。

 理想的なのは…時期にもよるけれど…午前六時前後。夜明けの直前から始めれば、紫に染つた空が、仄しろく移る眺めも肴に出來る。寝惚け半分、宿醉ひ半分の頭の中身は寧ろ、前夜の續きと呼びたくなる状態で

 (ああおれは、駄目な大人だなあ)

さう考へると、嬉しさを禁じ得なくなつてくる。我がわかい讀者諸嬢諸氏には、決して眞似をしてはなりませんよ。