閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

992 センチメンタル石油ストーブ

 子供の頃の記憶だから、四十年余り前になる。大坂の家では、寒くなると、石油ストーブを使つてゐた。燐寸で火を点け、火力はダイヤルで調整するやつ。

 屋根(天板と呼ぶのが正しいのか知ら)に水を満たした藥罐を乗せ、夜になつたらそこに一合徳利を入れ、お燗をして、父親が晩酌に嗜んだのを覚えてゐる。玄冬になると、おでんのお鍋を置いてゐたこともあつたと思ふ。暖房器具であり、加湿器の一部であり、調理器具を兼ねてもゐる。少年丸太にとつて、石油ストーブはさういふ存在であつた。

 過去形になるのは当り前である。灯油の継ぎ足しを忘れてはならず、予備を買つておく必要もあり、坐る場所で暖かくもあり、暑くもある。第一、火事の心配がある。だから石油ストーブは、いつの間にか処分され、エアコンと床暖房が取つて代つた。加湿器と調理器具は兼任しないけれど、安全の一点で、正しい判断だつた。實際、小學生だつた私は、風呂上りに尻を近づけすぎて、かるい火傷をしたことがある。

 

 とは云へ。

 安全性に目を瞑ると、石油ストーブは懐かしい。風が冷たく感じられる休日、父親が物置からよつこらせと、室内に運び込む。少量の灯油で試しに火を点け、ちやんと暖まるかを確めてから、さあ使はうとなつて、今にして思へば、あの一聯の作業こそ、冬の訪れを示す儀式だつたのかも知れない。

 「儀式とは大袈裟だなあ」

と笑はれてはこまる。扇風機や海水パンツや、シャツの袖、タオルケットと毛布…ほんの半世紀足らずの昔、毎日のささやかな変化と、季節の移り変りは、ほぼ重なつてゐて、たとへば押入れから引き出した函から、母親が衣類を入れ替へる姿は、春から夏へ、秋から冬へと移る為の区切り…儀式のやうに見えなかつたでせうか。

 その辺を踏まへれば、石油ストーブ(の準備)が、私にとつて、季節の区切り…儀式の代表格であつたと云ふのも、納得してもらへさうに思ふ。尤も既に述べたとほり、西の家に帰つても、石油ストーブはもう無い。少年の当時には無理だつた、天板の藥罐で温めたお燗をやつつけられないのは、残念といふ他にないけれど、親父どのお袋さまと、盞をかはす機會はまだ残されてゐる。