閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

994 〆そば〆うどん

 近年はすつかり躰が弱くなつたから、御無沙汰なんだけれど、ある時期まで、呑んだ後にそばを啜る習慣があつた。夜遅く…夜中に開いてゐるのは、チェーン店の立ち喰ひ蕎麦屋くらゐで、必然的にそこに入つた。

 「呑んだ後なら、ラーメンだらう」

 さう考へるひとはきつとゐて、大昔…四半世紀は遡れるから、大昔と云つて間違ひにはなるまい…なら、確かにさうだつた。併し呑んでからのラーメンが、胃袋には重すぎると感じられてきた結果、いつの間にやらそばに移つた。

 

 もり。

 立ち喰ひのもりは大体、無駄に冷たくしすぎだけれど、喉が醉つた時は寧ろ快い。更に温泉玉子があつたら、つゆに落してもらふ。温泉玉子はちよいと…黄身が洩れる程度に崩しておく。そばに絡まるのを期待しての準備である。葱と山葵はつゆに入れない。そばそのままで啜るのは勿論、食べる分にだけ、葱や山葵を乗せ、或は七味唐辛子を振る。醉つてゐても、味が色々変るのは判るし、山葵や七味唐辛子を、うつかり多くしても、温泉玉子が受け止めてくれる。

 

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は、醉ひ醒めの水を甘露かんろと悦ぶ川柳を御存知でせう。どうも私は立ち喰ひのもりを、醒める前に味はふ、甘露の親戚のやうに感じてゐたらしい。東都で覚えた。今はそこまで醉へる体力が残つてをらず、立ち喰ひに寄ることもなくなつた。最早嘆かうとも思はない。

 

 それはさうと、大坂で呑みすぎた夜は、どうしてゐただらう。大坂と云へばうどんだつたし、平成初期の当時、夜中に開いてゐる立ち喰ひ饂飩屋は無かつた筈である。うどんは軽めの食事、そばはおやつといふ、立場のちがひゆゑだつたものか。もつと云ふなら、胃袋が若かつた頃、呑んだ後に、ラーメンでもそばでもうどんでも、啜る發想自体、持合せてゐなかつたと思ふ。

 併し稲庭(大坂では"京風"と呼ぶことが多い)のやうな細打ちで、小丼なら食事の範疇から外れる。青葱を散らしただけの素うどん。ひと刷毛のとろろ昆布を乗せてよく、もりと同じく、温泉玉子を奢るのもよろしい。これくらゐだつたら、西上酒席の〆に似合ふだらうし、体力が落ちた今でも、ちよいと惹かれる。まあ商賣になるかは別の話だから、さういふ饂飩屋があるのかどうか、私は知らない。