閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

893 積極的にうまいのか

 さう訊かれたら、首を傾げざるを得ないのだが、好きかきらひで云へば、好きですよと応じるのが春菊の天麩羅のお蕎麦である。腹は減つてゐて、併しかつ丼ほどの空腹感ではなく、かけ蕎麦で物足りなければ、たぬきか春菊天にする。

 立ち喰ひくらゐの蕎麦屋でなければ、目にしない。一体に蕎麦屋の種ものは、立ち喰ひとそれ以外で峻別されてゐる。蕎麦切りがざつかけない方向とお座敷方面に分離する時、協定を結んだのではと思へるほどで、春菊天が前者に属するのは勿論である。

 案外と上手下手が別れる種でもある。下手な揚げ方だと噛みきれず、蕎麦と一緒に半分くらゐ啜りこみさうになる。何かしら、こつが要るんだらうと思ふが、そのこつが奈辺にあるのかはよく判らない。

 春菊天には本來、あの獨特の苦みを期待したいけれど、大体の場合は残念な結果に終る。歴とした蕎麦屋で揚げた春菊(天麩羅の盛合せで見掛けることはある)だつたら、歯触りに加へ、苦みも感じられるのは、揚げ方もさうとして、衣に工夫…ちがひがあるのだらう。

 などと書いたら、丸太は"立ち喰ひの春菊天蕎麦"に手厳しい、と感じられるかも知れないが、手厳しいだけなら冒頭に書いたやうな註文はしない。種ものの中での優先順位が高いとは云へないにせよ、脳裏に春菊天が突如として浮んだ経験は何度かあるし、さうなつたら啜るまで落ち着かなくなつてしまふ。積極的にうまいとは云ひにくいのに、あの種にはどんな秘密が隠されてゐるのか知ら。