閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1048 方向ちがひ

 スマートフォンau版のAQUOS SHV45を相も変らず使つて、呑み喰ひを記録してゐる。ごく一部はこの手帖や、インスタグラムにアップロードをしてもゐる。我が数少い讀者諸嬢諸氏の何人かは、見たことがあるかも知れない。

 大体の場合、そのままは使はない。程度は兎も角、トリミングをする。色の処理もしなくはないが、そこまでするのは稀で、序でながら、スマートフォンで撮つて直ぐ、様々に手を加へられるのが便利なのは認めるとして、何とはなし、わざとらしい感じが残る。気がする。

 たとへば上の画像は、某夜の某ラウンジで出された、オイル漬け鰯のトーストで、中々うまかつた。オイルと塩つ気とチーズは、まつたくの出合ひものだなあ…といふ感想はさて措き、この画像には、トリミング以外の調整をしてゐない。十分に撮れたから、ではなく、手を入れても仕方がないと考へた所為である。

 画像の加工を厭ふのではない。諸々工夫を凝らすひとは、技術をカクテルさせる工程も、樂んでゐるだらう。樂んだ工程を経た画像を眺めるのは、叉こちらの樂みでもある。ただここで私は、吉田健一のカクテルに対する痛烈な罵倒を思ひだす。あの呑み助と食ひしん坊を兼ねた批評家は、カクテルといふスタイルを(大意)

 「まづい酒をまづく感じさせず飲ます工夫」

と評してゐた。私は吉田をたいへん尊敬してゐるが、この言に限るなら、世の中のバーテンダーは、腹を立てていいと思ふ。話を戻して、吉田の評を画像の加工に置き換へれば

 「下手糞(或は失敗した)冩眞を、下手糞叉は失敗と感じさせずに見せる工夫」

くらゐにならうが、私がこんなことを眞顔で口にしたら、関係無関係各方面から、間違ひなく袋叩きにあふ。第一私は、ギムレットを好む男だから(ただ好みに適ふ一ぱいを作るバーテンダーは、過去に二人だけだつた)、画像の加工を評するのに、カクテルを譬喩に用ゐては、渡世の義理に反して仕舞ふ。戻した筈の話が叉、妙な方向になつた。私は何を云はうと思つてゐたのだらう。