閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1012 予定

 大坂にゐる。

 新大阪驛で東海道新幹線を降り、大阪メトロ御堂筋線西中島南方驛、阪急京都線の南方驛を経て、地元の最寄驛に着到し、そこからは徒歩。梅田まで行かなかつたのは、路に迷ひさうな気がしたからである。あすこはもう、知らない街になつて仕舞つた。

 驛前の商店街は相変らず、寂れてゐる。ビニールのカーテンを壁代りにした呑み屋は健在で、屋台擬きと思つてゐたのが今回、初めて奥行きのある構造と判つた。機會に恵まれれば一ぺん、潜り込まうと決めた。さう云へば、その隣のビルに、ニューハーフ・パブだつたかがあつた。採算が取れるロケイションでなかつたのは明かで、あつといふ間に姿を消したのを思ひ出した。

 商店街を抜けたところに、ガールズ・バーがあつた。三年か四年くらゐで、閉店してゐる。需要のある土地柄ではないし、大体がガールズと云つたつて、何年か前はガールズだつた(筈の)お姉さん方のお店だつたけれども。そこから二つ三つ隣に、中學生高校生の頃、ちよこちよこ立ち寄つた中華料理屋があつた。いつの間にやら暖簾を下ろしたのは、跡継ぎがゐなかつた所為か、儲けの事情だつたものか。

 大坂の家に帰つたら、私用の小さなテレビジョンが壊れてゐた。正確を期せば、リチウムイオン電池がへたり、電源が入らなくなつてゐた。バラエティ番組だのドラマだのに、丸で興味は無いから、その点はどうといふこともない。とは云へ、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートと、驛傳見物に支障が出るのは、いただけないなあ。さう考へてゐると、二親がこの際だから買はうと云ひだして、懇意の電器屋に註文した。何がこの際かはよく判らないけれど、二親のお金は、二親の判断で遣へばいい。

 ところで令和五年末には、少し游びの予定がある。旧いふるい友人であるエヌと、二年振り…令和四年末はエヌの、令和五年明けは私の事情で、流れてゐた…に会ふ。何をするわけではなく、顔を見て喋つて呑む。この先何年、機會を得られるか、些か心許なくはある。年齢を重ねて、余命が見えてきた所為だらう。勿論なげく積りではなく、余命が見える中でも、先に樂みがあるのは喜ばしい。もうひとつはニューナンブの忘年會である。大坂の私が、東京神奈川の面々と、顔をあはすのは困難だから、遠隔方式になる。以前から触れたとほり、この形式は好ましく思はないのだが、距離を隔てて乾盃出來るのは、文明の利点といふ一面がある、と考へられもする。酒肴を見繕ふ面倒を我慢すれば、好感は兎も角、惡いと決めつけるのは、褒められた態度ではあるまい。これも叉、游びであり樂みなんである。バーゲンのお酒を用意し、玉子焼きなぞ摘みながら、場に臨むとしませう。

 

 それから…と續けたいところだが、令和五年末の予定は上の二つの外に無い。