閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

997 銅壷で煮られる時間

 おでんの種を撰びなさいと云はれたら、次の順に挙げる。前半の四天王に、後半の四種を加へて八強。

 玉子

 大根

 厚揚げ

 牛すぢ

 平天

 飯蛸

 焼き豆腐

 お餅の巾着

 こんな風に書いたら、竹輪麸を忘れてはいかんとか、結び蒟蒻が判らないとは素人めとか、平天ではなく牛蒡天だらうとか、様々の異論反論が出るにちがひないが、そんなことを云ふなら、ソーセイジと焼賣だつて、惡かあないんですと、再反論したくなる。まあ大体の場合、かういふ話で、コンセンススを得るのは、ほぼ不可能であるのだけれど。

 

 尊敬する吉田健一が、大坂のおでんをえらく褒めてゐた。普段なら混雑して中々入りにくいおでん屋で、錫の酒器に注がれたお燗をやつつけ、囀り(くぢらの舌である)、里芋や棒天をつつきながら

 「空いている日に店を開けた時から店が締るまで酒を飲んではおでんを囓って、また酒を飲むのを繰り返していたら、人格も向上して福々しく」

なりさうだ、などと大眞面目に書いてゐる。確かにうまいお酒とお摘みを、悠々然々と味はへれば、人格のひとつやふたつ、変るのも簡単にちがひない…と思へるから、詰り文章のちからとは、かういふものか。

 

 待てよと思つたのは、その大坂でおでん屋に潜り込んだ記憶がない。梅田の地下街で、暖簾を目にしたことはある。廿台半ばの私なら、異性を相手に、渋好みの呑み方も知つてゐる恰好を附けたくて、おでん屋に誘ふくらゐしても、不思議ではなかつたのに。まあ当時はおでんの愉快を知らず、お酒のうまさも判つてをらず、あれは家でくつくつ炊く…即ち渋好み以前の食べものと、決めつけてゐた節はある。

 正直なところ、おでんは若い舌と胃袋に、喜ばしいとは云ひにくい。美味と膏みが直線で結ばれる年代は、焼肉やかつ丼に気を取られる筈だし、叉それは健康の望ましい發露でもあるから、厭みではありませんよ。お出汁の滲みた大根や厚揚げを囓り、一合か二合のぬる燗を呑む愉快や、つゆで溶いた玉子の黄身を、ごはんに打ち掛ける樂みは、年経りて實感出來る。だとすると我われは、銅壷に満たされた時間に煮られる、おでんの種やうにも思はれてくる。本当かどうか、西上で機會を得られれば、試してみたいものである。